活動報告
ダイバーシティ・カフェvo.8 開催のご報告
2月20日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第8回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、写真と言葉で思いを綴り、個展も開いている松山千里さん。
千里さんのこれまでの歩みは、こちらのブログ記事もご覧ください。
「ダイバーシティとやま」な日々 松山千里さん
http://blog.canpan.info/diversityt/archive/162
今回のカフェでも、千里さんの子供時代の体験から話が始まりました。
千里さんがまだ小さい時、両親の離婚を経験しました。そして千里さんは、父親と祖父と一緒に暮らすことになり、当時、小学生だった千里さんが、家事を一手に担うことになりました。
小学生なのに朝4時に起きて唐揚を作っている…そんな日が続きました。
「お母さんがいる子のお弁当には負けたくない」という一心でした。
楽しいふりはしていたけれど、心から楽しかったことは一度もありませんでした。
どんなに頑張っても褒められることはなかったし、「自分なんていない方がいいのかな」と、ずっとそう思ってきました。
こうした想いは、大人になってからも変わりませんでした。
社会人になると、職場で周りの人たちに対して腹が立ち始めました。
「私はここまでやっているのに、周りの人たちは何であんなにやらないんだ!」
そう思っていました。
そして、祖父が認知症になり、介護が必要になった時、
「しないといけない」という思いと、
「したくない」という思いの狭間で苦しみました。
このあたりのことは、ブログに詳しく書いてあるのですが、千里さん、父親、祖父、そしてそれぞれの間には、いろいろなことがあったのです。
しかし、ある朝、千里さんが仕事から帰宅したとき、祖父は脱水症状を起こしていました。千里さんは自分を責めました。私のせいだと。
こうしたことが積み重なり、ついには、うつ病になってしまいました。
人が怖かった。
自分は人じゃないと思っていた。
そして自分なんて消えてなくなればいいと、いつも思っていた。
4年前のことです。
死にたくて死にたくて堪らない。
だけど、なんとかして変わりたいという気持ちも残っていました。
無理矢理にでも動こうとしていたうつ病でした。
それから4年経ち、辛かったことは辛かった。それは確かなことだけど、今の自分は好きだと語る千里さん。
いろいろあった両親には「ありがとう」や「大好き」なんて、とても言えない。けれど、どんな思いをしたって嫌いになんてなれっこない。
どんな親であれ、自分にとっては大切な親。
そう話してくれました。
参加した皆さんからもいろいろ質問がありました。
「千里さんにとっての写真って何?」
「写真は自分にとっての表現のツール。言葉ものせないと自分にとってのツールになりにくい。
facebookに写真を載せる時は自分の気持ちとリンクさせている時。そういう時じゃないと載せない。」
「今は『優しい』じゃなくて『易しい』が多いように感じる。肝心なことは言わずにごまかしてる。
そして世の中には『やさしい風(ふう)』なものがいっぱいある。それをもっと欲しいと思っている人もいっぱい。
『ボランティアをしてますアピール』をしている人もいっぱい。そんな表面的な表現者にはなりたくない 」
そしてこんな究極の質問も。
「生きるって何?」
この質問に対して千里さんがしばらく考えて答えたのは「ちゃんと死ぬこと」という答えでした。
過去の偉人と言われる人たちはお金を残した人ではない。死んで何を残すのか、残せるのか。
最終形は自分らしいものを残して、自分が自分らしく死にたい。それが今の千里さんの思いです。
たくさんの方が千里さんの想いに耳を傾け、千里さんの想いに共鳴した空間となったダイバーシティ・カフェになりました。
ダイバーシティ・カフェvo.7 開催のご報告
12月22日(月)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第7回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、脳性まひ・身体障がいの当事者やご家族同士の交流の会、歩む会代表の坪田佳奈さん。
佳奈さんのこれまでの歩みは、こちらのブログ記事もご覧ください。
ブログの中でも触れていますが、佳奈さんが生まれたときの体重は、わずか675g。
でも、自分が脳性まひであるということを知らずに成長してきました。
だからこそ、いろんな不自由があっても、それを努力で跳ね除けてくることができたのです。
「なんで私はこんなにがんばってもなかなかできないんだろう?」
こんな問いかけや、自分の中での葛藤もあったけれど、脳性まひのことは、意識的にシャットアウトしてきました。
けれど、自分が脳性まひであるということを受け止めざるを得ないときが来るのです。
先生に告知されたとき、それまでの自分の経験や出来事を思い返せば思い返すほど、思い当たることがあり過ぎる。
足が硬くなって変形し、身体中あちこち痛くなってきて、あるとき、障害者手帳を取りたいと、親に言いましたが、親は受け入れてくれませんでした。
じゃあ、自分でやるしかない。ひとのまの元島くんたちに背中を押してもらい、障害者手帳を取得しました。
そして、
「少しでもこの病気のことを知ってもらいたい」、
「障害があってもなくても無理をせずに自然体で生きていける社会にしていきたい」、
そう思って、歩む会を立ち上げたのでした。
歩む会のHPは、こちらです。
今回、佳奈さんがどういう思いで過ごしてきたか、本当に熱く語ってくださいました。
今までできていたことができなくなっていくことが不安でならない。そんなふうに、だんだん不自由になっていく体が受け入れられない。
脳性まひのことも受け入れられない。なにより、同情されるばかりなのが耐えられない。
でも、担当の先生のひとこと、
「君の体が変わっても、今まで通り何も変わらない」
このひとことが救いになって、佳奈さんは第一歩を踏み出すことができたのです。
完璧に受け入れることは無理だけど、体が変わっていく自分も認めてあげよう。受け止めてみよう。そうしないと前に進めない。
でも、富山には、気軽に話せる人も場所もありませんでした。病院の中にはあるけれど、病院の外にこそ必要じゃないか。
それに病院の中だけだと、どうしても被害者意識が強くなって、「これしてくれ」「あれしてくれ」という要求ばかりになってしまう。
それじゃあいけない。
開かれた場所や機会が欲しい。でも、ない。
ないなら自分で作ってしまおう。
こうした想いで設立したのが「歩む会」だったのです。
健常者と障害者が一緒に交流することで、お互いを知ることができる。障害者にとって、それは本当に大切なこと。
要求ばかりじゃいけないことに気づけるのも外の人と直接話せるから。
健常者にとっても、普段会うことが少ない脳性まひの人と会って話すことで、たくさんの気づきが生まれる。
ご飯を食べること、おしゃべりができること、歩けること、伝えることができること、字を書くこと・・・。
健常者にとって、当たり前のことができない人、子どもが大勢いる。
でも、脳性まひでも、おしゃべりをすることも、走ることもできる人だっていっぱいいる。
そういうことひとつひとつのことは、会って、聞いて、知る機会がないとわからない。
当たり前だと思うことは、当たり前ではなくて、すごいことなのだと気付くことができる。
それは、ダイバーシティを進めようとするときの大きな第一歩でもあります。
ずっと熱くしゃべり続けた佳奈さんが、最後に伝えてくれた想いは次のようなことでした。
10年後、20年後につながる未来のために、脳性まひのことをもっともっと知ってほしい。
一日でも早く治療法が見つかって、多くの命が救われるようになってほしい。
そのために私はずっと発信していきたい。
それは、私には「伝えることができる」から。
佳奈さんは、今度、手術を受けるとのことです。
退院したら、歩む会の活動に、もっともっと本腰を入れてやっていきたい。
そして、社会福祉士としても一歩を踏み出していきたい。
そんな佳奈さんの思いを共有できた2時間になりました。
佳奈さんは、これからもたくさんお話をしていきたいとのことなので、ぜひ、歩む会のホームページからコンタクトを取ってみてくださいね。
ダイバーシティ・カフェvo.6&ダイバーシティ・ドリプラNext vo.1 開催のご報告
2014年11月28日(金)に、高岡市のコミュニティハウスひとのまにて、第6回のダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回は、昨年開催したダイバーシティ・ドリプラのプレゼンターのお一人、山元三百代さんが語り部ということもあって、ダイバーシティ・ドリプラNextの1回目でもありました。
まずは、昨年の山元さんの感動のプレゼンの上映から開始!
みなさんもぜひ、このプレゼンをご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=EPKqV23KSqA&feature=youtu.be
いきなり号泣の中から始まった山元さんの語りです。
その後も山元さんのブログ記事や、NPO通信の記事を片手に話が進みます。
ブログ記事はこちら
http://blog.canpan.info/diversityt/archive/135
NPO通信はこちら
http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/toku/npo/CK2013091702000180.html
ブログにもありますが、山元さんは中学生時代に、壮絶なイジメに遭い、それが原因で人間不信に陥りました。
けれど、どんなにつらくても決して学校を休ませてはもらえなかった。
今、ひとのまのコーディネーターとして頑張っている山元さんは、このときに不登校を経験しておけばよかったなぁと言います。
え?なんで?
その理由は、経験しておけば、誰かと話すときに、共感をもって話せるから。
ひきこもり、うつ・・・そういったことは、自分自身が経験しているので、自分の経験をもって相手にちゃんと話をすることができるけど、不登校は経験していないので、話をしていてもなんだか嘘っぽく感じてしまうと山元さん。だから不登校も体験しておけばよかったなんて、どこまで誠実、そして体当たりなんでしょう。
とにかく自分と同じような境遇や経験、想いを持っている人は放っておけない山元さん。
不器用でもいい、ぐちゃぐちゃでもいい。でも、やっぱり笑っていたい。
みんなで一緒に笑っていること以上に幸せなことってあるかなぁ。
そんなふうに、相手を全面的に信じてくれる山元さんなので、なかなか心を開かない子どもたちでも、いつの間にか山元さんのそばにくっついて離れなかったりするのです。ひとのまにとっても、もはやなくてはならない存在。それが山元三百代さんなのです。
その後は、みなさんからの質問タイム。
いろんな悩みを抱えているみなさんが、山元さんの言葉に気付きをもらっている様子をみて、ああ、本当に無駄な過去、無駄な経験なんて、ひとつとしてないのだなぁとつくづく思うのです。いろいろな傷を負った山元さんだからこそ、今、まさに彼女に想いをぶつけてくる人の気持ちが痛いほどわかるのです。
涙ながらに、でも笑顔で話す山元さんのお話に、参加者のみなさんもハンカチで目を押さえる場面が何度もありました。
ダイバーシティ・カフェの醍醐味は、語り部の本音が随所に織り込まれていること。
それ故、どうしてもオフレコが多くなってしまい、ここには書けないことがたくさんあるのです。とっても残念なことですが。
今回のこの記事を読んで、山元さんのお話を聴いてみたいと思われた方は、ぜひ一度、コミュニティハウスひとのまを訪れてみてください。
笑顔がとってもキュートな山元さんが出迎えてくれますよ(^^)
川北秀人氏セミナー「事業と団体を続けるための基礎を再確認しよう!」開催のご報告
2014年12月3日(水)、川北秀人さんのセミナー「事業と団体を続けるための基礎を再確認しよう!」を市民活動サポートセンターとやまさんとのW主催で開催しました。
IIHOE [人と組織と地球のための国際研究所] 代表者の川北秀人さんはNPOや社会起業家支援の第一人者であり、NPOと行政との協働の基盤づくりや、環境・社会コミュニケーションの推進支援で全国各地を飛び回っていらっしゃる超多忙な方です。
舌鋒鋭く、出足から火を噴く川北トーク。
「いつもは『これだけ話してください』と、依頼主からテーマを限定されることがほとんどですが、今回は、『川北さんがしゃべりたいことを話してください』という依頼でしたので、みなさんにお伝えしたい内容を、通常9時間かかるところ、今日は2時間のダイジェスト版でお話しします」という出血大サービスのアナウンスから始まったこのセミナー。受講者側の状況や希望に応じた超お得なセミナーになりました。
テキストは川北さんがお書きになった『ソシオ・マネジメント』創刊号「社会に挑む5つの原則、組織を育てる12のチカラ」NPO【または「市民団体」】や社会事業家には必読の書です!
18時半スタートのセミナーでしたが、本日の川北さん、実はダブルヘッダーの登板で、このセミナーの前に、某自治体職員向けの研修の講師をしてきたとのこと。まずは、このあたりの話からスタートです。
現在、深刻な人口減少と少子高齢化社会に直面している日本社会。この某自治体は他の自治体に比べて、約10年も先行してその影響が出てくるということを、統計データを使用して理論的に説明します。ただ高齢者が多くなるとか、生産人口に比して高齢者の比率が高くなるというだけではなく、ひとり暮らしの独居高齢者数や、そのうち運転免許を持つ人の比率など具体的な生活像を通して、某自治体職員に伝えてきたとのことです。しかし、危機感が薄いのか、確かな手応えが感じられなかったとのこと。何故だ!某自治体の未来に危機感を感じつつ、その危機感を、ひしひしと私たちに伝えてくださいます。
そもそもNPOってなんだ?公益って何?
まずは、私たちの足元、基本的認識から始まります。とある外国人が、こう言ったそうです。「日本にはNPOが多いよね。だって、No Plan Organizationばかりでしょ」と。公益とは、「不特定多数が対象」と理解するのではなく、たとえ特定された少数でも、不可代替性の高い活動も公益的。山間部や離島のガソリンスタンドは、不特定で多数の車にガソリンを供給するスタンドではないが、なくてはならない存在としてそこにある。大切なのは、求められ、開かれていること。ここが基本的なスタンスとして明らかにしておくべきことであり、私たちの活動は、誰かが必要としていることとして行っている活動であって、自分たちが「必要だろう」と想像して活動するものではない。NPOとは、民間で、誰かが必要としているニーズ(公益)に対して、事業を通じて生み出した利益を自分たちだけに分配するするのではなく、社会に再投資し続ける活動を行っているチームということです。
まず、この基本的な立ち位置を整理するだけで、NPO周辺にもやもやと立ち込めていた靄がかなりスッキリします。
熱い想いは必要か?
とかくNPOに携わる人には熱い想いが付き物(憑き物?笑)。これはとても大切な必要不可欠なもの。ただし、「想い」だけでは社会への責任は果たせない。例えば、各種の助成金を活用しているNPOが多々ありますが、川北さんは、そうした企業や行政などによる助成事業の審査や評価にも携わっています。寄付者や株主、納税者に対する説明責任を負う審査委員の立場から言うと、申請書から「想い」を汲み取って、大切なお金を配分することは、とてもできないと。紙の上の文字だけから想いを読み取るなんて、神様じゃないし(笑)。社会的なニーズが明確で、それに取り組むための手段が具体的で、できれば、団体や集まっている人にも実績があって、チームとして実施できることが明瞭に示されたものでないと、大切な募金を配分することは、とてもできないと言います。さらに言うなら、その事業を実施した結果を報告書にまとめ、それをテキストとして他の団体にも共有することにより、事業の効果が長持ちするような取り組みになっていることが望ましいと。考えてみれば、当たり前のことで、振り返ってみると、昨今の助成金漬けになっているNPO活動がいかに多いかということも憂慮すべきことでしょう。
私たちの活動の精度を高める「PDRF+RT」とは?
川北さんがあるアメリカの市民団体を訪問したときのこと。よれたジーンズに擦れた革ジャン、根元まで火の点いたタバコを指に挟んだミック・ジャガーのようなオジサンに言われたそうです。「『しらべる』っつーのを難しく考え過ぎてんだよ。『しらべる』ってのは、『かぞえる』、『くらべる』、『たずねる』ってことだろ」と。あまりに簡単すぎて、しかも核心を突いていて、これを聞いたときに、川北さんはイスから転げ落ちたと。ライクアローリングストーン!
最初の話に戻りますが、少子高齢化の進展を説明するときに、まず人口を「かぞえる」。そして、過去の実績から将来推計を、さらに、他の自治体とも「くらべる」。では、当該自治体はどう考えているのか、他の自治体ではどういう取組みがあるのか「たずねる」。そういうことが「しらべる」ということだと。簡単ですが、とても明瞭かつ説得力があります。
こうして、私たちの活動の精度を高めていくためには、まずは「しらべる」ことから始まり、計画をつくり(Plan)、その計画が適切かどうかためし(Test)、それを実行し(Do)、検証して(Review)、メンバーや社会と共有(Feedback)していくことが肝要だと。
なんとなく対応策を打ってませんか?
私たちは、社会に必要とされるニーズに対して活動を行っている(と思っている)わけですが、それは本当に課題に対応した活動になっているのでしょうか。もしかすると、その課題の原因を取り違えているために、その活動が、ニーズに対応した活動にはなっていないという事態に陥っているかもしれません。
とある企業での話。機械製造の工程で、ビスが緩んでしまうという事案が発生。現にビスが緩んでいる事実がある以上、きつく、しっかりと締めれば良かろうと管理職が指示を出した。しかし、その上司は、これをよしとせず、「原因もわからないうちに対策を打つな。小学生にでもわかるレベルまで原因を調べろ」と指示を出します。
管理職が現場に入り、実際の工程や機材を調べていくと、ベルトコンベアに付いている不審なシミを発見します。さらにそれを辿っていくと、エアコンのダクトの冷却部分に結露した油が落下し、ビスを留める穴に付着。これがビスの緩みとなっていたことがわかります。
「なぜそうなっているのか」の「なぜ」を、何度も何度も繰り返して問うていく。そして活動の焦点をクリアにしていくことが必要なのです。
見た目は同じでも中味が違う!
例えば、日本人向けの韓国語教室。韓国語を教える人がいて、韓国語を学ぶ人がいるという場。見た目は同じでも、カルチャーセンターと、韓国人ツーリスト向けにまちの歴史や文化を伝えるための韓国語ガイド養成講座とでは、目的がまったく違います。前者は自分自身のためである以上、自費で賄うものですが、後者はまさに「求められていることに開かれた」ニーズに応える公益であり、地域貢献活動として寄付や助成などを求める意義を持ちます。
「子どもの貧困」が深刻化する今、家庭の経済的な理由から進学を諦める子どもも増えている。そこでひとりあたり月2万円、年間25万円の支援ができれば、放課後学習の機会を提供できる。子どもの数がはっきりしていて、金額もゴールも明確。これを募金というフレームで、貧困の世帯間連鎖を断ち切るために、東日本大震災で教育機会が失われた人たちに向けて、活動を行う【http://cfc.or.jp/】。目的と現象と原因と対象者が明確になっていることが、共感を呼ぶ公益活動なのです。
仲間を作る
とかくNPO活動は難しい。営利を目的とする企業であれば、分配する利益を大きくするために規模を大きくしていけばいいのですが、収益を得るのが難しい事業で成果を出し続けるNPOのマネジメントは本当に難しいと、名前を聞けば誰でも知っている高名な経営学者も指摘しているとのことです。
NPOの活動や組織をマネジメントしていくために、事業目的や計画を明確にし、体制を作っていく必要がありますが、しかしNPOの目的は、決して団体を大きくすることではありません。最小の力や資源で最適な成果を生むために、自分たちのチームだけでやっていくのではなく、仲間や他の団体と一緒にやっていく、協働していく、力を借りるという発想や姿勢が必要です。自分たちのスタッフの数や運営規模が変わらなければ、運営に割く労力も変わりません。運営に割く労力を変えずに事業の質や量を高めていくために、もっとも効率的なやり方が、仲間を作るということ。今日のセミナーに参加したメンバーは、明日の仲間であり、事業のパートナー。
とても有意義なメンバーで時間を共有できたセミナーになりました。
川北さん、共同主催の市民活動サポートセンターとやまさん、参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
ダイバーシティ・カフェvol.5 開催のご報告
10月24日(金)に、今回は会場を変え、高岡市のコミュニティハウスひとのまさんにて、第5回のダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は看護師であり、富山で和漢薬の原料となる植物の栽培を手がける「プロジェクト阿羅漢」の仕掛人であり、薬都富山に向け、精力的に動き続けている高橋太郎さん。
高岡市のコミュニティハウスひとのまでの開催も、やはり、ここでなくては!ということは、みなさん、よくご存じのことかと思います。
高橋さんのこれまでの歩みはこちらのブログ記事もご覧ください。
高橋さんは、漢方が持つ力強さを、身をもって感じています。
西洋医学に見放された人たちが、漢方薬に目を転じることで快方に向かっていく現場に数多く直面してきましたし、なにより、高橋さんご自身が漢方によって、うつから脱却することができたというご経験をお持ちです。
これほどまでに潜在力がある漢方。それなのに、今は、漢方薬の原料となる植物は、ほとんど中国に頼っている状況です。
漢方の栽培に、あまり重きが置かれていない今の状況では、いずれ漢方薬は作れなくなってしまう。高橋さんは、強い危惧感を覚えるのです。
だからこそ高橋さんは、漢方薬の原料となる植物を、この富山で作っていきたいという強い想いをお持ちなのです。
そもそも病気も元気も「気」という字を使うように、気はすべての源ということなのです。
気の元が生命エネルギー。
漢方には、その気を整える作用があるということで、今までまったく話すこともなく、寝たきりだった人が話をするようになったり、食べることもままならなかった人が、食べるということを始めるようになったりしているとのことです。
そうした現場に直面すると、その患者さんのご家族は、ほぼびっくりされるということですが、高橋さんは、気を整えればそれは奇跡ではないと思っていらっしゃいます。
だからこそ、漢方を途絶えさせてはいけないと強く思うのでした。
看護師になる以前の高橋さんは、人を殴ってしまいたくなる衝動に駆られることも日常的にあるような自分だったと懐古します。
「元々、体が弱かった自分は、自分自身で強くなるために、空手で鍛えて強くなった」という気持ちも強くあり、人間関係の中で、弱い立場にある人に対して、あえて手を差し伸べるようなことはしてきませんでした。
「自分だって地力で這い上がったんだ。お前も自分でなんとかしろよ」
そんな思いだったのです。
警備会社で働いていた当時は、常に発奮し、アドレナリンが分泌されているような状態だったとおっしゃいます。映画の中のドンパチそのもののが、日常的に繰り広げられていたとのことです。このあたりのことを実感できる人は、そうそういないかもしれませんね。
しかし、奥さんのひとことで、転機を迎えることになるのです。
「太郎は、本当は優しいから医療職が向いているよ」
この言葉で看護師になることに。
そんな奥さんとは互いに惹かれあっている者同士でありながら、離婚させられることになり、うつになってしまったということです。(このあたりのことも、ブログを参照してみてください)
そして、こうした現状を救ってくれたのが漢方。
うつの高橋さんに対して、患者さんが、「あなたに会うと元気になる」と伝えてくれたその言葉。そんな患者さんから、漢方が処方される機会がなくなってはいけない。この人たちのためにも自分はやる、それが自分の使命なのだと高橋さんは確信していらっしゃいます。
漢方のことを語るときの高橋さんは実にイキイキとしています。
人は使命感に燃えているとき、本当にたくさんの人やモノを引き寄せる力があることを高橋さんの姿から感じさせられました。
漢方が女性をキレイにするという話には女性陣の目がキラキラに。
高橋さんは、漢方のひとつである脈診などでも、その人のどこが悪いか、気が滞っているかがわかるそうです。
高橋さん曰く「女性がみんなキレイになったら、日本が元気になる!」
女性は一人一人みんなキレイ。女性が自分の良さを活かして輝いていけば、男性ももちろん元気になる!そうすれば日本が元気になるのだと。
今、高橋さんのプロジェクトは着々と動き始めています。
その内容についてはまだ書けないのですが、これからの高橋さんの活動をどうぞお見逃しなく。
お話のあとは、参加されている方からたくさんの質問も飛び出し、和やかな雰囲気で終了しました。
辻安全食品 辻幸一郎さん講演のご報告
10月3日、富山市中部コミュニティセンターに、辻安全食品の辻幸一郎社長をお迎えし、「JALやANAの国際線でアレルギー完全対応の機内食をプロデュース、ホテルや全国の病院や保育園にもアレルギー完全対応食品を納入し、子どもたちの夢を広げ続けている辻安全食品(株) 辻幸一郎社長講演会」を開催しました!
「お産の学校&ダイバーシティとやまが初コラボ!」でもあります。
みなさん、食物アレルギーってありますか?「食べ物に不自由してるんだー」「かわいそうだなー」とか、ちょっと他人事風な人、「自分は花粉アレルギーです。その季節はとても辛いです」という方もいらっしゃるでしょう。今回は、こうしたアレルギーに長年、食品という観点から取り組んでいらっしゃる辻さんからのお話会なのです。
辻さんが経営なさっている会社は、食物アレルギーに完全対応した各種メニューを提供し、外
また、系列会社では、シックハウスに対応した建築も行う
当日は、食に関心の高いママや、お子さんがアレルギーで困っていらっしゃるママが中心に参加されました。とても熱心です。
辻さんのお話を熱心に聴く参加者の皆さん
辻安全食品は、「アレルギーで良かった」を会社のコンセプトにしています。
アレルギーで良かったってどういうこと?アレルギーですごく困っているのに、って普通は思いますよね。
実は、自分のアレルギーに気付いて、それを意識した生活をすることで、より健康に生きていくことができるのです。そんな話をいただきました。
アレルギーのあるものを食べていると、身体の中で最も基礎代謝量の多い肝臓の働きが悪くなるとのことです。肝臓っていうと、お酒を飲み過ぎるとガンマgtpが増えるとか、物言わぬ臓器とか、肝硬変とか…ちょっとドキドキしてきますね。
肝臓が炎症を起こすと、それを守ろうとして周りに脂肪が着く。下腹部に脂肪がたっぷりついている方は実は身体に合わないものを食べている可能性がとっても高いとのことです。えーっ、高カロリー、食べ過ぎじゃないんだ!そして、アレルギーに気付いていない場合は、知らず知らずに内蔵に負担がかかって、それが原因で、他の病気を発症していることだって本当にたくさんあるそうです。アレルギー、あなどりがたし。
辻さんご本人を、調べてみたところ、卵にものすごく高いアレルギー反応を示したそうです。
それまでは牛丼には必ず生卵を入れるほどの大の卵好き。「こんなに好きなのに…」
けれど、自分自身に卵のアレルギーがあるとわかってから、卵を遠ざけた食生活を心がけました。するとどうでしょう。どうなったと思いますか?なんと、それまで、83キロあった体重がみるみる20キロも減りました。特にダイエットも運動もしていないのにです。今、辻さんはウエスト69センチ。男性では一番スリムなサイズのジーンズが履ける体型です。アレルギーの食材を摂取しないだけで、脂肪の蓄積が減ったということを、ご自身の体験からお話してくださいました。
「僕たち男の子・・・・」でお馴染みの(古っ)ビッグスター、ご存じですよね。御年60歳にも関わらず、腹筋が割れてとてもスマートな林檎殺人事件のあのお方。
彼は納豆をはじめとする豆類に高いアレルギー反応があったとのことでした。それで食事から豆類を抜いたところ、あっという間にベスト体型になったとのことです。
納豆。身体にいいと言われる典型的食材の納豆。それを避けた方が彼には良かった。つまり、一般的に身体にいいと言われているものが全ての人に当てはまるわけでは決してない、ということなのです。自分にとってアレルギーのないものを食べていれば、無理なダイエットをしなくても、自然にベスト体型になれるなんて、ホントにステキなお話ですよね。
今は753検診という言葉もあるとのことです。
つまり3歳、5歳、7歳の753の時にアレルゲンを検査しておいて、それがアレルギーが発症しないように口に入れるものを気をつけていこうという、いわば第0次医療です。みんながこの検査を受けるようになって自分のアレルゲンを知れば、一生健康で暮らしていけるということです。
自分が何にアレルギーがあるかを知って、それに対処した生活をしていけば、アレルギーだけでなく他の病気に発症する率はうんと低くなるそうです。
だから「アレルギーで良かった」が、辻安全食品のコンセプトなのです。
私たちが無意識に口に入れているもの、その中には農薬まみれのものもたくさんありますよね。今では一般的になってきていますが、ポストハーベストで作業員がガスマスクをつけて作業をしている、そんな食べ物を平気で口にしているという現実。
牛乳だって、欧米では殺菌してあるものは出しません。日本の学校給食はどうでしょう?そもそも日本人が牛乳を摂取することに警鐘を鳴らしている方も多々いらっしゃいます。
成長ホルモンがたっぷり含まれているものを食べているせいで、今、子どもたちの身体はどうなっているか?小学校の低学年で生理になったり、幼稚園の時に歯が全部生え変わってしまったり…。いろんな影響が出ているとのことです。
また、グルテンカゼインの除去食で、落ち着きなく動き回っていた子が落ち着いて席についていられるようになった。目を合わせられなかった子がちゃんと目を見てカメラ目線で写真を撮れるようになった…。今まで、脳が原因と言われていたことが、実は腸が原因だった、そう思える事例が実にたくさん生まれているとのことです。
私達の腸は本当に賢い!ということです。
私達の小腸の表面積は子どもでもテニスコート一面分の広さ。大人だったら1.5面~2面の広さがあります。
食べ物由来でアレルギーの症状が身体の一部に出ている時、そこだけにステロイドを塗って一時的によくなったとしても、それは本当に付け刃。
テニスコートの広さのある小腸がやられているのに、症状の出ている体の表面にだけ薬を塗って、何の意味があるでしょう?辻さんが真摯に問いかけます。
私達の小腸に住んで様々な外敵と戦ってくれているのがビフィズス菌をはじめとする腸内細菌。なんと腸内細菌は38億歳だそうです。原始の海から綿々と続く命の連なり。
私達人類が生きてきた歴史は、せいぜい数百万年単位。桁のちがう腸内細胞の方が、ずっとずっと環境に適合していて賢いということです。
腸内細菌がちゃんと働いて、腸が健康な状態なら、私達の身体はちょっとやそっとのことではへこたれないのです。
でも、残念ながら、今、私たちの現代社会では、腸内細菌を働かせないような生活になっているとのこと。
赤ちゃんの時は、なんでもペロペロ舐めて、腸にいろいろな菌を住まわせることで、健全な腸の状態になっていくのが正常な状態。
それが、なんでも「清潔清潔」といって、ほぼ無菌状態のまま。
これではちゃんと腸内細菌の働く腸の状態にはなりません。防腐剤はじめ、食品添加物もそうです。防腐剤がテンコ盛りの食品は、腐らないのですから、これが腸に届いても、腸内細菌は戦う必要がなくて、ぜんぜん働かなくなります。
腸内細菌を働かせるためには、ちゃんと腐るものを食べなくてはいけないのです。なるほど、納得です。
約1000兆個も私達の身体の中にいる38億歳の腸内細菌というご先祖様を、私達は大事にしなければなりませんね。
では、私たちは、そのために、何をすればいいのでしょうか?
辻さんは仰います。「そのためには何も特別なものを食べる必要はありません」と。
日本には古くから「身土不二 一物全体」という言葉があります。
身土不二は、身体と土(環境)は一体ですよ、ということです。地産地消と言えばわかりやすいかもしれません。
例えば、エスキモーがアザラシを赤道直下で食べていたとしたら、あっという間に高脂血症になってしまうでしょう。アラスカで食べることと赤道直下で食べることは、同じ食べ物を食べるといってもまったく異なる現象になるわけです。
地産地消でなるべく手のかかっていないものをいただく。
そして、一物全体。一つのものを丸ごと食べるのがいい。葉付きの根菜なら葉も食べることが大切です。
でも、ここで忘れていけないのが、そう、自分のアレルギーになるものを食べないこと。
いくら栄養的に優れていても、自分がアレルギーがあるものを食べては元も子もありません。
自分のアレルゲンを知り、それを除いて「身土不二 一物全体」を心がける。
そうすることで私達のえらいご先祖様、38億歳の腸内細菌はフルに活動して、私達の身体を守ってくれる。そんな大切なことを知ることのできた、今回の辻さんの講演でした。
来てくださった皆さんからは、「お友だちにも聴かせたかった~」というお声をたくさんいただきましたので、また第2弾も考えたいと思います。
どうぞお楽しみに♪
辻安全食品さんでは、乳、卵、小麦、落花生、そば、かに、えびはもちろん、アレルギー特定原材料27品目を使わないアレルギー対応食品を多数取り揃えてありますので、一度ぜひホームページをご覧になってくださいね。
最後になりましたが、熱い講演をしてくださった辻さん、そして一緒に主催してくれたお産の学校さんと、協力してくれたオフィスブラッシュアップさんに心から感謝します。
ダイバーシティ・カフェvol.4 開催のご報告
2014年9月19日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第4回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部はフードバンクとやま代表の川口明美さん。
川口さんのこれまでの波瀾万丈な歩みについてはこちらをどうぞ。
今回のダイバーシティ・カフェは、ブログでご紹介した川口さんの歩みをたどりながら進みました。
ブログにも川口さんが高校2年の時に事故に遭うところを掲載していますが、事故に遭う直前、川口さんは、すべてが順調に進んでいると実感していた時でした。
モテ期も訪れ、部活の一歳下の男子と手紙の交換をしていたし、部活では、大会用に新たなラバーを張り替えて頑張っている時でした。(川口さんは卓球部に所属していました。)
勉強も頑張り始め、成績上位で、廊下に番号が貼り出されるところまで来ていました。そんな青春時代を謳歌していた川口さんを襲った突然の事故。
飲酒運転の車による交通事故に遭ったのでした。
脳挫傷と全身打撲でした。ガラスの破片が全身に突き刺さり、何度も手術を繰り返さなければならないほどでした。
治療が終わり、退院しても、車のヘッドライトを見ると足がすくみました。心にも大きな傷を負ったのです。
けれど、周囲は世間体を優先するばかりで、自分のことは二の次にされていると感じました。今のように心のケアは大事にされていなかったこともあるかと思いますが、ともかく、こうした事故後の人間模様に直面し、すっかり人間不信に陥ってしまった川口さん。
事故後、大人が嫌いになった川口さん。子ども相手の仕事がしたいと思うようになったのは自然の成り行きでしょうか。短大で保育士の勉強をすることになります。
卒業後は、希望どおりに保育園で保育士として働きました。子どもと深く関わりたくて保育士になったはずなのに、保育士という仕事は、保護者と濃く関わる仕事だったのです。
それが大きな重荷になってしまい、保育園を辞めて地元の信用金庫に転職。しかし、転職時に妊娠が発覚し、内定は取り消しになります。
こうして結婚という道を選んだ川口さんでしたが、その後も本当にいろいろなことが続きます。
この続きは、ブログにも少し書いてありますので、ぜひお読みください。
ここでは書き記すことができないオフレコの部分が、より川口さんの人生の重要なKeyになっているのではありますが、これは参加してくださった皆さんだけの特典ということで、どうぞ、ご了承ください。
そうしていろいろあって(省略が多くてすみません)、離婚に至った頃の川口さんは、1年間、ほとんど何も口にすることができなくなり、寝る前にお酒を飲むという生活を繰り返し、激痩せしていったのでした。
母子家庭のままだと、家がどんどん貧乏になっていく。それならば、私は、父子家庭になろうと思ったと川口さん。
仕事をいくつも掛け持ちし、ほとんど寝ない日も日常茶飯事でした。
こうした日々を過ごす中、ふと、「私は何のために仕事をしているんだろう?」という虚しさに襲われます。
そんな時に出会ったのが、夜中にゴミ拾いをしているボランティア団体でした。そこで活動していると自分らしさが取り戻せる気がしました。
そして、テレビで東京のフードバンク活動の様子を目にします。
「私はこれを富山でやりたい!」
そこからの川口さんの尋常ではない動き方は、富山の皆さんならご存知の方も多いのではないでしょうか。
こうして、川口さんの想いに賛同する仲間も多く集まり、フードバンクとやまの活動はどんどん広がりを見せています。
他にもマル秘話が盛りだくさんだったのですが、機会があったらフードバンクとやまの活動に参加して、川口さんに直接聴いてみてくださいね。
そして、毎回何が飛び出すのかわからないのがダイバーシティ・カフェの魅力のひとつ。
今回は、「お米ありがとう体操」なるものが飛び出しました!
これがその一幕。
今回、参加者みんなで踊った「お米ありがとう体操」の様子は10月18日(土)に、総曲輪グランドプラザで開催される富山県民ボランティア・NPO大会の会場にて、大スクリーンで公開予定です。お楽しみに!
今、川口さんは、周りの人たちからいつも元気をもらっているといいます。
だから、今度は自分が歩く幸せわけあい人になりたい、と思っています。
目指すは「歩くパワースポット」!!
いえ、川口さんは、もうすでに、フードバンクとやまで物資を運ぶ時、ポカポカの幸せも一緒に届けていらっしゃいます。
現在進行形で、日々パワーアップしている「富山の歩くパワースポット」の川口さんなのでした。
歩くパワースポット、川口明美さん♪
みなさんもぜひ一度フードバンクとやまの活動に参加してみませんか?
きっと素敵な出会いがそこには待っています。
とやまのてっぺんでダイバーシティを考える夏期大学2014「三山縦走で新月のダイバーシティを貫く」編の開催のご報告
好天に恵まれたダイバーシティとやまの活動ですが、この「とやまのてっぺんでダイバーシティを考える夏期大学」は、2012年に開催した第1回の感動の夏期大学のあと、昨年は台風直撃にて中止、今年2回開催予定としていたところの第1回のAコースも台風襲撃にて中止と、山の天候の厳しさを実感していたところでした。
今回も台風16号が通常進む進路であれば、がっつりバッティングしそうなところ、北向きに進路が逸れ、なんとか持ちそうか!?という状況下での開催となりました。直前の予報では、当日の天気は晴れ、2日目は崩れるとの予報でした。
快晴の中での夏期講座の開講。前日の夜更かしを若干気にしつつも、紅葉の始まりを迎えている弥陀ヶ原を車窓から眺めつつ、ゆらゆら揺れる高原バスの中で貴重な睡眠を取りつつ、標高2450m室堂ターミナルに到着です。まずはトイレ休憩と、玉殿の湧水での水分補給からスタートです。水、食事、トイレの3点セットが、生きていくうえで意識していく基本の部分かもしれませんね。
さて、今回の夏期大学の講義コースは立山三山縦走コースです。
いわゆる立山とは、雄山、大汝山、富士の折立の3つを総称した名称ですが、これらを狭義の立山三山と呼ぶ場合があります。しかし、一般的には、浄土山、立山、別山の3つを総称して立山三山と呼んでいます。
古くから信仰の対象となっている立山には、今回の浄土山はじめ、地獄谷や地の池地獄など宗教的な名称が多々あります。最高峰の大汝も「おおなむち」即ち大国主または大物主とも言われています。そういう信仰のことはさておき、快晴に恵まれたことだけでありがたい気持ちになり、気分上場で、足取りも軽やかに出発しました。
まずは浄土山へアタックです。私たちの気分を象徴するように日輪がお出迎え。
雄山へ向かう一ノ越ルートの途中から分かれ、徐々に勾配がきつくなってきます。「浄土山登山口」からは一気に急斜面を登ることになりますが、この「登山口」の看板を見て、「まだ登山口にも辿り着いてなかったのか」と一堂、苦笑い。
山頂の標高は2831mですので、380mほど登ることになるわけです。一歩一歩踏みしめて歩いてきた足取りも、ここからはゴロゴロとした岩場。四つん這いになったりもします。ということで、スパイダーエッチャンの登場です。すいすい登っては後続を待ち、スイスイ~待ちの繰り返し。ときには待ち時間が瞑想タイムにもなります。クンダリニーの目覚め的エッチャンです。
山頂部に近づくにつれて、五色ヶ原、そしてそれに続く薬師岳が美しくそびえる雄大な光景が目に飛び込んできます。槍ヶ岳が美しい。わずかながら有峰湖の緑も確認できます。そうするうちに、浄土山山頂、三山ひとつめに到着です。山頂から見ると、雄山の社務所がすぐそこに見えます。「ジップラインアドベンチャーがあればいいのに…」と、半ば本気の冗談が飛び出します。山頂の慰霊碑を見つつ、龍王岳への稜線を進みます。と、向こう側にはロッククライミングの練習なのか、複数人の男性が大きな声を出しつつ何やら訓練のような、もしかしたら、怪我人の搬送をしているような光景を目にします。「なにかなー」と思いつつ、歩みを進めていると、あっという間に屈強の男たちに追いつかれました。聞いてみると、怪我人を背負って運ぶ訓練をしているのだそうで、全国の山岳警備隊の実地訓練とのこと。お話を伺った方は、北海道からお越しだとか。それにしても山岳警備隊のたくましさに「私も運ばれてみたいわー」との不謹慎ながらも素直な乙女心チックな感想も聞こえました。一ノ越まで続く下りが延々と続きます。稼いだ高度を一気に戻すことになります。
一ノ越山荘のホットココアで一息入れ、休憩していると、通常の雄山登山ルートの「一ノ越~雄山往復」と同じくらいの疲労度だということに気付きます。ということで、日帰り参加の治子さんとはここでお別れです。「お疲れさまでした^^」と、お互いの健闘を称え、再会を約束します。
さて、ここからは言わずと知れた問答無用の急傾斜。繁忙期(?)の季節だと、「立山銀座」と言われるが如く、身動きの取れないほどの(?)大混雑ぶりなので、ほどほどに休みながら登らざるをえず、あまり疲れも感じないのですが、今回はさほどの渋滞でもなく、各自のペースでの登山が続きます。日頃、歩くことのない柴垣は、この段階ですでに足の裏が攣りそうなってきました。マズイです。
この急傾斜を6割ほど進むと、ほどほどに緩斜面になった休憩ポイントがあります。さて、もう踏ん張り。およその位置関係がわかると、やる気もUPします。
三山ふたつめの最初のピークの雄山に到着。雄山からは、山の反対側にある黒部ダムを真上から眺めることができます。いつものことながら、山頂に到着すると、汗の冷えもさることながら、急激に寒さを覚えます。ということで、1つのカップヌードルを3人で分けていただきます。やっぱ汁物サイコー。
そして室堂を左手に見ながらトラバースしつつ、三山ふたつめの2つめのピークの大汝山へ。この大汝山頂で、ちょっと楽しい山男チックなカメラマン風のサラリーマン(?)に出会います。なんでも剣沢小屋に向かうのを断念して大汝に来たとのことで、泊まる場所も決まってないとか。で、「どこに泊まるんですか?」ということになり、私たちと同じ山小屋に泊まることになります。
そして、2年前の当夏期大学の宿泊所であり、映画「春を背負って」の舞台ともなった大汝山休憩所に再会です。「僕はこの山小屋の前にはイタリアのカフェにいたんですよ。本格的なコーヒーです」と、ジョークがよく似合う大汝山休憩所のダンディーな主(あるじ)が温かいコーヒーを淹れてくれます。チョコレート付きで元気も沸いてきます。
三山ふたつめの3つめのピークの富士ノ折立を素通りし、岩場を下り始めます。登りが続いた後の下りは膝にきます。しっかりと足元を踏みしめながら、いわゆる立山のピークを下ると、目の前に長々と続く真砂岳の稜線が飛び込んできます。幅1メートルくらいはあるのですが、雄大なる大きさを持つ山の尾根の1メートルは、気持ちの持ちようによっては、平均台のうえを歩くような感覚にも陥ります。慎重に慎重に、足元だけをしっかり見ながら進みます。振り返ってみると、立山が美しく見えます。
ここまで来ると、今回の宿の内蔵助山荘まであと一歩です。山荘到着!お疲れさまでした!
さて、ただの登山に見えるこのコース。何が夏期大学かというと、登山そのものも大切な要素ですが、山小屋での山の振り返りや人生の振り返りからダイバーシティを学ぶことが実に多いのです。お楽しみの夕食を終え、夜景と星空のデザートに舌鼓を打ちます。日常を離れることによって初めて日常を知ることがある。宮田のリフレソロジーで疲れた身体を癒しつつ、心のワークが始まります。
ということで、今回は「特番ダイバーシティ・カフェinクラノスケ」開催です。「えーっ!人に語るようなことは何もないですーっ!」と、えっちゃん。しかし、ここは宮田マジックの本領発揮。「あっ、そうか思い出しました」、「聞かれているとだんだん思い出すものですね」と、過去の体験やそのときの心情が詳らかに!続きは、「ダイバーシティとやまな人々」へどうぞ(笑)
そんなこんなで、就寝時間を過ぎてお話をしていると「就寝時間になってますよ」と注意され、「修学旅行生か、わしら…」と反省。
夏期大学2日目の朝は早いです。5時前からご来光のスタンバイ。
イベントすべてが天候次第のこの大学。運任せのようであり、緻密な企画のようであり、ともあれ強風の中、ご来光を待ちます。
ここは解説不要です。
写真をお楽しみください。今回は富士山も眺めることができ、1粒で何度も美味しいダイバーシティとやまの企画らしくなりました。こっち側に日本海、富士山のあっち側が太平洋。日本って小さいね!と実感。
さて、5時半からの朝食で、しっかりエナジーチャージしたあとは、最後の三山の別山に向かいます。ここから先は、人もまばらで数人のパーティだけの世界。朝の澄んだ空気の中、なだらかな下りの稜線のあとに登りの稜線、そして、やや勾配のきつく足元の悪い登りを進みます。
cebookにUP!みなさまにタイムリーにご報告するのもダイバーシティとやまの信条です。
別山からは、再び稜線を歩きながら、剱御前小屋まで行き、ここからは雷鳥沢に向けて、一気に下っていきます。この足場の悪いこと悪いこと、何度か滑って転びそうになります。やはり登山にはポールがあるといいですね。雷鳥沢の名前のとおり、雷鳥との出会いが多いはずなのですが、出会いのシーズンではないようで、今回は羽ばたく雷鳥らしき鳥影を一瞬、見ただけでした。この下り坂、昨晩の延長戦とばかりに、えっちゃんとの対話が続きます。瞑想とは何か、悟りとは、日常を相対化するとは、そして釈迦の有名な「答えないことをもって答えとする」ということまで。と書くと、何やら高尚な大学講義のようですが、好きな男優や女優、中高生のときに部屋に貼っていたポスターは何か?みたいな下世話なことまで、延々と続く下り坂に同調しない下らない話も続きました。
下山途中、背丈の低い木立の中を進む登山道も通っていきます。この木立、見事な紅葉だなーと、目線を見上げ、周囲を見渡してみると、このあたり、とても紅葉が進んでいます。というか、昨日より今日、今日の朝よりも今の方が、より赤々と鮮やかです。刻々と表情を変えていく秋の深まりを身をもって体験しています。この生きている自然との一体感、臨場感は、なんともたまりません。
雷鳥沢キャンプ場まで降りると清涼な水の流れる称名川の源流があり、季節が季節なら飛び込みたい衝動に駆られますが、疲れを癒しつつ、小休憩を取ります。ここでしか出会えない冷たくて綺麗な水ですね。ここに来て、パラッと小粒の雨が何粒か落ちてきて、「さぁ、もう行くよ、もうひとふんばり!」と、天からの励ましの声が届けられたようでした。
雷鳥沢ヒュッテのあたりからは、足元は整備された歩道が続きますが、歩きやすい道であっても登りはキツイです。そして、硫黄のガスがもうもうと流れてきます。血の池地獄、リンドウ池を眺めつつ、みくりが池温泉で最後の小休憩です。疲れた身体にアイスクリームの甘みが染み渡ります。そして、ガスの切れたライターを持ってきていた柴垣は、ここで疲れた身体にニコチンを染み渡らせます。(笑)
室堂に戻ると、今回のコースを振り返り、それぞれの場所でのそれぞれの想いを振り返ります。この「かみしめ」こそが、今回の夏期大学の最高のひとときです。ちなみに、この「かみしめ」というキーワードに秘められた謎は、参加者だけの特典です!
ちなみに、ケーブルカーを降り、立山駅舎を出た途端、雨が降り始め、「待っていてくれたんだなー」と、小雨と感謝の気持ちに包まれながらの終講となりました。
ダイバーシティ・凸凹(でこぼこ)・キャンプin島尾海岸~みんな ちごとるがで いいがやちゃ~開催のご報告
8月29日、30日に氷見市島尾海岸キャンプ場で、「ダイバーシティ・凸凹(でこぼこ)・キャンプin島尾海岸~みんな ちごとるがで いいがやちゃ~」を開催しました。
15時頃からユルユルと参集です。
凸凹キャンプらしく、年齢、性別、国籍そして経験や背景も多種多様なキャンプになりました。ヒトの他にイヌも参加。おまけに天候も晴れ~曇り~雨と天気まで多様に楽しむことができました。
海岸でのキャンプですので、やや気温は低いものの、子供たちは元気に海辺で遊びます。キャンプ場で水着を干すのも何故だか時間がのんびり感じられていいものです。閑さや水着にしみいるセミの声って感じ。風流だ。
そして、キャンプですから、何はなくとも、まずは焼き物です。
火は慌てても点きません。自然のペースで細い焚き木から太い薪へ、そして炭へ火を移していきます。いい塩梅に火が熾きたところで漬けダレに漬かった肉を焼き始めます。炭火らしく高温でカリッと香ばしく調理が進みます。
焼いている間は、炭や焼き物を見ながらのおしゃべりタイムとなります。
普段は、意識しなくても相手の表情を見ながら話す話し方に慣れてしまっていますが、夕闇が迫ってくると、自ずと視線は温かな火へと移っていき、心もほんわりしてくるものです。これには一種の瞑想効果がありそうです。
今回のキャンプのシェフは柴垣が務めました。彼曰く、いろいろと手順やこだわりがあるようで、バーベキューを任せてもらう以上は口出しさせないとのことでしたが、結果的には、参加者みんなでわいわいと調理を楽しみました。火加減を調節する人、焼き物を返す人、野菜を切る人、そしてナント、準備した材料を転用して独自料理の披露もありました。モンゴルの彼、若いのにとても料理上手です。
夜も進み、お酒も進み、会話も進んでくると、話があちらこちらに飛んでいき、予想もしない会話の累乗効果で笑いの渦が発生します。
「日本ではマイ箸を腰に差す」トリオのショット。日常ではありえない光景でしょ!
ダイバーシティ・ワークショップもあるにはありましたが、あまりにも会話がダイバーシティ過ぎて、もはや場の収集がつかなくなっています。さぁさぁ、バーベキューの〆はラーメンですよ!^^
そんな空気に夜の帳を下ろしてくれたのが宮田の三線の音色。ぐるぐるダイバーシティ状態が、しっとりと穏やかな心地よさに包まれます。日常生活ではあまり耳にすることのない音ですが、海辺で聴くと、なぜだか懐かしさと涼しさを感じます。命の儚さと、それゆえの美しさが参加者の胸を去来し、今、生きていること、生かされていることに自ずと感謝してしまいます。
子供たちは、見たことがない楽器に触れ、楽しそうです。
翌朝、眩しい陽の光がキャンプ場に射し込みます。さまざまな背景や個性を持った者たちが一同に介したダイバーシティ・凸凹・キャンプ。ちがいがあるからこそ楽しむことができる。そしてまた、新しい今日という日に向けて、それぞれの道を歩み出します。
ダイバーシティ・カフェvol.3 開催のご報告
2014年8月22日(金)に、射水太閤山コミュニティセンターで、第3回のダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、石黒亨さん。愛称は「うえる」さんです。
うえるさんが何をやっている方か、ひと言で言うのはとても難しい方です。
植彩セラピスト、メンタル心理士、庭師、コンサルタント等、いろんなことをされてます。
ご本人曰く、「自分は万屋(よろずや)だ」と。
そんなうえるさんのことを書いたブログ記事がこちらになります。
まず、その「万屋よろずや」のお話からスタートしました。
万屋と書いて思い浮かぶのは「八百万(やおろず)」。
そう、日本は昔から八百万の神々のおわす国。
そんな中で、富山はその名のとおり、とても豊かな場所です。
そして、昔から「立山さん」に守られているところでした。
あまり知られていないかもしれませんが、かつて皇祖皇太神宮の本拠地があったのも、ここ富山ということです。
また、日本列島をブーメランに見立てると、富山はブーメランの支点になる場所、つまり中心にもなります。
そんな富山の話から始まり、続いて、うえるさんご自身がなぜ「万屋」なのかというお話に。
例えば、やりたいことがあってもこれは仕事じゃないからとか時間がないからとか、そういう風に制限をかけたり限界を作っているのは実は本人。
自分が同じパターンを繰り返していると、ちがいが見えなくなってしまいます。
ちがいを見つけるには、まず自分の中にあるちがいを見つけることが大事ということです。
同じ日常のように見えて、実は、同じ日常というのはないのです。どこに視点を置いているかで、見え方は全然ちがってくるのです。
できるわけがないと思い込んでいるのなら、やってみた方がいい。
失敗を恐れてやれない?それこそ、他の人からの見え方を気にしているからそうなってしまうのです。
人間に規格品なんてない、みんな規格外品です。だから変わっている、と言われるのはホメ言葉!
失敗なんてすればするほどいいんです。失敗という字を見てください。「敗けを失くす」なのです。
なにもやらなかったら生まれるものも何もないのだから。うえるさんならではの言葉が次々と飛び出します。
そして、「私は悩んでいます!」は、とても大事なことなのです。これも正直に素直に言えばいい。
なのに、体裁を気にして、悩みを隠していると全然大丈夫じゃなくなってしまう。一見わからなくても、ちゃんと芽は見えないところにあるのだから。
凶という字を見てください。これはメつまり芽が出ている状態なのです。芽が出るということは根っこが充分にあるということです。そうじゃないと芽はでないのです。だから大凶って実は超ラッキーなのです。だって大きな芽が出るっていうことだから。
わくわくしてくる、うえるさんの熱い語りです。
悩むという字は小さなメをツむと書くでしょ。小さな芽を摘む。つまりそれは間引きです。
悩んでいることを抱えこまないで発信すれば、いろいろな回答がもらえます。
それはつまり間引いているのと同じこと。発信すれば一番残したい芽にどんどん栄養が入れられていきます。
間引きをして大きな芽だけ残す。そしてそれが大株に成長するんです。
それだけじゃない。間引いた芽も実は無駄にならず、新しいプランターに移し替えて育てることができるんです。
うえるさんはそうして間引いていった芽をバラバラのプランターに移し替えて育てていくうちにいろいろなことができるようになっていった。
だから、ご自身は「万屋(よろずや)」なのだと。
そして、自分を「見せる」んじゃないよ、「魅せる」んだよ、と続けられました。
見せるというのは見えているものだけが相手から見えるっていうこと。
それは本当の魅力ではないのだから。
だから出会い系パーティで着飾って自分の表面だけ見せるのは、チャンチャラおかしいのです。
魅せるにはプロセスが必要です。
なんでも先に来るのは根っこなのです。そして根っこは外からは見えません。
見えるを大事にしている人は、実は、自分に栄養をやっていないのです。
根っこが先でそれに見合った株が成長するのに、見える部分だけを取り繕っていては、根っこがないことに気付いた時、その恋はどうなりますか?その結婚はどうなりますか?
でも、見せるを魅せるにするのは一足飛びにはいきません。その間に観るが入ります。よく内観と言われるように、客観的に自分を観る力をつけることが大切です。客観的に自分を観る。それができている人はどれくらいいるでしょうか?
うえるさんの言葉に「ゴクっ」と息を呑んでしまいます。
鏡に写った自分も、それは本当の姿ではない。もし、素の自分を観たいのであれば、できれば一糸まとわぬ姿で自分の写真を撮ってみてください。
それがあなたの姿です。最初は観たくないかもしれない。でも、本来の姿には傷やシミがついていて当たり前なのです。
それは歳を重ねれば重ねるだけ余計にそうです。それを観て、認める、許す、ちゃんと観るから補修もできるのです。
観ないと補修もできません。
でも、補修しなくてもあなたの傷があなたが生きてきた魅力になる。その傷が大好きと言ってくれる人もきっといます。
自分を観る、そして周りも観る、そんな習慣がつけば、毎日がエンターテインメントになります。
なんだって楽しめる。なんだって面白がれる。
そう、万屋になる要素は、ユーモア、遊び心、そしてノリ。
だから多様性を楽しめるんです。ちがってて目くじら立てるんじゃなくて、ちがってるからこそ面白い。
そして、想像性が豊かになると創造できます。0から1を作れるようになるのです。無理だ、ダメだ、今更は禁句。
妄想しまくると形になります。でも、もちろん、一回でできるわけがない。
今までできなかった?そんなの関係ない。いつだって、今から。そして想像を創造にする。
そして、こんな語りを魅せてくれる、ここからがうえるさん真骨頂のワークです!
「あか、みどり、つえ、この3語を使って、遊び心を持って想像し、何かを創造しよう」
そこで参加者のみなさんに渡されたのが、B4の紙、そしてクレヨン、マーカーなど。
楽しそうに発表する参加者のみなさん。
中には、絵を描くのではなく、立体的に作った方もいらっしゃいましたし、同じ館内から絵本を持ってきて、絵本を使って表現された方もいらっしゃいました。
そうです。やはり、今までの習慣に囚われてしまい、ほとんどの方が絵を描きましたが、実は、絵を描けとはひと言も言われていなかったのです。
「つえ」を杖じゃなくて「つえ~(強い)」と解釈された方も。^^
例えばこのワークでみんなが同じものを作ったら、みんなが同じものを描いたら、全くおもしろくないわけです。
なんで他の人の話と咬み合わないんだろう、なんでわかってくれないんだろう、ではなく咬み合わないから面白いんです。
わかってもらおうと思うんじゃなくて、いろんな悩みを打ち明けたり、いろんな話をすることで自分がどんなピースになっているか気付ける。
そうすると、相手を自分のピースに無理やり合わせるんじゃなくて、自分のピースと相手のピースをつなぐ別のピースの存在に気付けたりするんですね。
頭を柔らかくしたらそういう楽しいことがどんどん出来てくる。だから、遊び心、ユーモア、ノリと言うとフザケているように思われるかもしれないけれど、実はとても大切な要素です。こうして、つながるピースがどんどん広がっていくと、それはダイバーシティになるわけでしょ。そんなお話が次々に出てきました。
こんなふうに「うえるWorld」がたっぷり繰り広げられた今回のダイバーシティ・カフェ。
うえるさんは毎日のようにブログを書いていらっしゃいますし、セミナーも定期的に開催していらっしゃいます。
今回のお話が心に残った方は、ぜひ一度うえるさんのセミナーをノックしてみてください。
ブログはこちら
『自分らしく生きる』ための『心のタネ』の蒔き方・育て方 『Lock』を『Rock』に!『心ック』カフェ
セミナー等の情報はこちら
きっと、今まで気付かなかった自分に会えると思います。
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