3月, 2015年
ダイバーシティ・カフェvo.9 開催のご報告
3月20日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第9回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、株式会社フロー代表取締社長の池田将人さん。
地域資源・メイドインジャパンをWEBを通じて日本・世界へ販売し、医療支援へと繋げる「流れ・FLOW」を創り、日本を世界へと発信する 。そういう意図から会社の名前をフローとした池田さん。
池田さんのこれまでの歩みは、こちらのブログ記事もご覧ください。
ダイバーシティとやまな日々 池田将人さん
http://blog.canpan.info/diversityt/archive/36
池田さんは小学校2年の時、煮えたぎっている風呂釜の中に落ちて大火傷を負います。
幸い一命は取り止めたものの、4ヶ月の入院中に受けた手術の際に、C型肝炎に感染してしまうのです。その後、肝炎ウイルスキャリアのまま、大人になるまで過ごすことになりました。
大人になって、歯科技工士の仕事に就き、その仕事が乗ってきた時期に、C型肝炎の特効薬としてインターフェロンが保険適用されることになり、治療に専念することを決意。治療のために仕事を止めました。
副作用もひどく、もともと社交的な性格だったのに誰とも会いたくなかった治療期間。孤独でした。死んでしまった方が楽だとさえ思ったこともありました。
しかし、その時期、池田さんはたくさんの本と出合い、たくさんの本を読みました。今までは、まったく読書とは無縁の生活を送ってきたのですが、乾いた土に水が染み込むように本の世界に没入したのです。
そのとき、胸に直球で響いたのが「修身」でした。
そして、渋沢栄一の言葉にも多くの影響を受けました。
渋沢栄一は日本資本主義の父と言われている人で、かのピーター・ドラッカーが氏を尊敬していたというほどの人物とのことです。
その渋沢栄一が説いたのが「論語と算盤」。つまり、「論語=倫理」と「算盤=利益」の両立を掲げた氏の考えに、池田さんは感銘を受けたのです。
「自分は自分と同じように苦しむ人のために医療支援をしたいと思う。」
「しかしそれは、まったくのボランティアでは成り立たない話。」
「いかに論語と算盤を充実させていくか。そこを考えよう。」
そうして池田さんは、治療期間に経営の勉強にも多くの時間を費やしたのです。
また、この時期によく考えたのが宇宙のことでした。
ここで池田さんの口から飛び出したのが量子力学の話。
深い人生哲学の話に共感していた私に、突如として降りかかる物理学の話。「物理」と聞いただけで卒倒しそうな私ですが、池田さんのお話はとても興味深く、内容の濃いものでした。
古典力学では、物質に位置と運動量を与えれば、その運動が決定されます。手に持ったリンゴ(手の位置にあるリンゴ)を、上空に向かって投げる(運動量を与える)と、放物線を描いて地面に落ちる(運動が決定される)という世界です。
しかし、ニュートン以後、時代が進み、原子や分子、素粒子などの物質は、位置と運動量を同時に測定することができないことがわかってきたのです。
私たちに馴染みのある世界では、今、ここにあるリンゴが測定できないということは、うまく理解できないのですが、こうした原子や電子、素粒子の性質に「量子」という考えを導入すると、古典力学で解決できないことが、どんどん解決されるのです。
すなわち、物質は、波という性質と、粒という性質を持っているという概念です。そして、ここからがポイントなのですが、その量子の振る舞いは観測者によって決定するということなのです。つまり、観る人がいないと正確な位置も運動量も確定できないのです。また、観る人がいない場合と、観る人がいる場合とでは、量子の流れは変わっていることが判ってきました。
つまり、意識は量子力学的な現象に作用しているということです。
意識には未知のパワーがある。これはオカルトでもなければスピリチュアルでもない。サイエンスの世界の話なのです。
しかし、日常生活に置き換えてみると、観測者がいないと現象が確定していないということは、うまく理解できないことです。例えば、シュレディンガーの猫というパラドックスがあります。
ごく簡単に解説すると、箱の中に一匹の猫がいるわけですが、致死量を含む毒と一緒に入っています。現象が確定していないということは、この箱のフタを開けるまで、生きている猫と死んでいる猫の2つの状態が重なっているということです。箱を開けて、観測者がそれを見たときに、はじめて状態が確定する。
なかなか奥が深いですね。
ともあれ、こうしたことを学んで池田さんは思いました。
「引寄せの法則」とか「成功法則」とか、意識が変われば物事が変わっていくというようなことが、いろいろと言われているけど、これらは科学的な出来事なのかもしれないと。
意識が量子に作用しているのなら、我々の意識がこの世界を創り出していると言ってもいい。
ならばマイナスの意識を持てば、マイナスの出来事が起きてくる、プラスの意識を持てば、プラスの出来事が起きてくる。このことは不思議なことではない。
私たちは、戦後ずっと西洋を規範としてきました。
西洋は自然と人を切り離して考えている一方で、東洋では人は自然の一部と考えている。
私たちはもっともっと先人から学べるのではないか。
易經、陰陽五行、般若心経、そして量子の粒と波。
すべてがつながっているように思えてならないと語る池田さん。
そして、いろいろなサイクルの符号。
太陽の活動周期と経済活動の周期の一致、経済成長のSカーブに見られる規則性、宇宙、自然、人間、素粒子のつながり。今回の池田さんの話は本当に多岐に渡り、参加してくださった皆さんからもたくさんの質問や感想が飛び出し、まさに参加者の意識が世界を変えるといった圧巻の2時間でした。
ダイバーシティ・カフェvo.8 開催のご報告
2月20日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第8回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、写真と言葉で思いを綴り、個展も開いている松山千里さん。
千里さんのこれまでの歩みは、こちらのブログ記事もご覧ください。
「ダイバーシティとやま」な日々 松山千里さん
http://blog.canpan.info/diversityt/archive/162
今回のカフェでも、千里さんの子供時代の体験から話が始まりました。
千里さんがまだ小さい時、両親の離婚を経験しました。そして千里さんは、父親と祖父と一緒に暮らすことになり、当時、小学生だった千里さんが、家事を一手に担うことになりました。
小学生なのに朝4時に起きて唐揚を作っている…そんな日が続きました。
「お母さんがいる子のお弁当には負けたくない」という一心でした。
楽しいふりはしていたけれど、心から楽しかったことは一度もありませんでした。
どんなに頑張っても褒められることはなかったし、「自分なんていない方がいいのかな」と、ずっとそう思ってきました。
こうした想いは、大人になってからも変わりませんでした。
社会人になると、職場で周りの人たちに対して腹が立ち始めました。
「私はここまでやっているのに、周りの人たちは何であんなにやらないんだ!」
そう思っていました。
そして、祖父が認知症になり、介護が必要になった時、
「しないといけない」という思いと、
「したくない」という思いの狭間で苦しみました。
このあたりのことは、ブログに詳しく書いてあるのですが、千里さん、父親、祖父、そしてそれぞれの間には、いろいろなことがあったのです。
しかし、ある朝、千里さんが仕事から帰宅したとき、祖父は脱水症状を起こしていました。千里さんは自分を責めました。私のせいだと。
こうしたことが積み重なり、ついには、うつ病になってしまいました。
人が怖かった。
自分は人じゃないと思っていた。
そして自分なんて消えてなくなればいいと、いつも思っていた。
4年前のことです。
死にたくて死にたくて堪らない。
だけど、なんとかして変わりたいという気持ちも残っていました。
無理矢理にでも動こうとしていたうつ病でした。
それから4年経ち、辛かったことは辛かった。それは確かなことだけど、今の自分は好きだと語る千里さん。
いろいろあった両親には「ありがとう」や「大好き」なんて、とても言えない。けれど、どんな思いをしたって嫌いになんてなれっこない。
どんな親であれ、自分にとっては大切な親。
そう話してくれました。
参加した皆さんからもいろいろ質問がありました。
「千里さんにとっての写真って何?」
「写真は自分にとっての表現のツール。言葉ものせないと自分にとってのツールになりにくい。
facebookに写真を載せる時は自分の気持ちとリンクさせている時。そういう時じゃないと載せない。」
「今は『優しい』じゃなくて『易しい』が多いように感じる。肝心なことは言わずにごまかしてる。
そして世の中には『やさしい風(ふう)』なものがいっぱいある。それをもっと欲しいと思っている人もいっぱい。
『ボランティアをしてますアピール』をしている人もいっぱい。そんな表面的な表現者にはなりたくない 」
そしてこんな究極の質問も。
「生きるって何?」
この質問に対して千里さんがしばらく考えて答えたのは「ちゃんと死ぬこと」という答えでした。
過去の偉人と言われる人たちはお金を残した人ではない。死んで何を残すのか、残せるのか。
最終形は自分らしいものを残して、自分が自分らしく死にたい。それが今の千里さんの思いです。
たくさんの方が千里さんの想いに耳を傾け、千里さんの想いに共鳴した空間となったダイバーシティ・カフェになりました。