10月, 2014年
ダイバーシティ・カフェvol.5 開催のご報告
10月24日(金)に、今回は会場を変え、高岡市のコミュニティハウスひとのまさんにて、第5回のダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は看護師であり、富山で和漢薬の原料となる植物の栽培を手がける「プロジェクト阿羅漢」の仕掛人であり、薬都富山に向け、精力的に動き続けている高橋太郎さん。
高岡市のコミュニティハウスひとのまでの開催も、やはり、ここでなくては!ということは、みなさん、よくご存じのことかと思います。
高橋さんのこれまでの歩みはこちらのブログ記事もご覧ください。
高橋さんは、漢方が持つ力強さを、身をもって感じています。
西洋医学に見放された人たちが、漢方薬に目を転じることで快方に向かっていく現場に数多く直面してきましたし、なにより、高橋さんご自身が漢方によって、うつから脱却することができたというご経験をお持ちです。
これほどまでに潜在力がある漢方。それなのに、今は、漢方薬の原料となる植物は、ほとんど中国に頼っている状況です。
漢方の栽培に、あまり重きが置かれていない今の状況では、いずれ漢方薬は作れなくなってしまう。高橋さんは、強い危惧感を覚えるのです。
だからこそ高橋さんは、漢方薬の原料となる植物を、この富山で作っていきたいという強い想いをお持ちなのです。
そもそも病気も元気も「気」という字を使うように、気はすべての源ということなのです。
気の元が生命エネルギー。
漢方には、その気を整える作用があるということで、今までまったく話すこともなく、寝たきりだった人が話をするようになったり、食べることもままならなかった人が、食べるということを始めるようになったりしているとのことです。
そうした現場に直面すると、その患者さんのご家族は、ほぼびっくりされるということですが、高橋さんは、気を整えればそれは奇跡ではないと思っていらっしゃいます。
だからこそ、漢方を途絶えさせてはいけないと強く思うのでした。
看護師になる以前の高橋さんは、人を殴ってしまいたくなる衝動に駆られることも日常的にあるような自分だったと懐古します。
「元々、体が弱かった自分は、自分自身で強くなるために、空手で鍛えて強くなった」という気持ちも強くあり、人間関係の中で、弱い立場にある人に対して、あえて手を差し伸べるようなことはしてきませんでした。
「自分だって地力で這い上がったんだ。お前も自分でなんとかしろよ」
そんな思いだったのです。
警備会社で働いていた当時は、常に発奮し、アドレナリンが分泌されているような状態だったとおっしゃいます。映画の中のドンパチそのもののが、日常的に繰り広げられていたとのことです。このあたりのことを実感できる人は、そうそういないかもしれませんね。
しかし、奥さんのひとことで、転機を迎えることになるのです。
「太郎は、本当は優しいから医療職が向いているよ」
この言葉で看護師になることに。
そんな奥さんとは互いに惹かれあっている者同士でありながら、離婚させられることになり、うつになってしまったということです。(このあたりのことも、ブログを参照してみてください)
そして、こうした現状を救ってくれたのが漢方。
うつの高橋さんに対して、患者さんが、「あなたに会うと元気になる」と伝えてくれたその言葉。そんな患者さんから、漢方が処方される機会がなくなってはいけない。この人たちのためにも自分はやる、それが自分の使命なのだと高橋さんは確信していらっしゃいます。
漢方のことを語るときの高橋さんは実にイキイキとしています。
人は使命感に燃えているとき、本当にたくさんの人やモノを引き寄せる力があることを高橋さんの姿から感じさせられました。
漢方が女性をキレイにするという話には女性陣の目がキラキラに。
高橋さんは、漢方のひとつである脈診などでも、その人のどこが悪いか、気が滞っているかがわかるそうです。
高橋さん曰く「女性がみんなキレイになったら、日本が元気になる!」
女性は一人一人みんなキレイ。女性が自分の良さを活かして輝いていけば、男性ももちろん元気になる!そうすれば日本が元気になるのだと。
今、高橋さんのプロジェクトは着々と動き始めています。
その内容についてはまだ書けないのですが、これからの高橋さんの活動をどうぞお見逃しなく。
お話のあとは、参加されている方からたくさんの質問も飛び出し、和やかな雰囲気で終了しました。
辻安全食品 辻幸一郎さん講演のご報告
10月3日、富山市中部コミュニティセンターに、辻安全食品の辻幸一郎社長をお迎えし、「JALやANAの国際線でアレルギー完全対応の機内食をプロデュース、ホテルや全国の病院や保育園にもアレルギー完全対応食品を納入し、子どもたちの夢を広げ続けている辻安全食品(株) 辻幸一郎社長講演会」を開催しました!
「お産の学校&ダイバーシティとやまが初コラボ!」でもあります。
みなさん、食物アレルギーってありますか?「食べ物に不自由してるんだー」「かわいそうだなー」とか、ちょっと他人事風な人、「自分は花粉アレルギーです。その季節はとても辛いです」という方もいらっしゃるでしょう。今回は、こうしたアレルギーに長年、食品という観点から取り組んでいらっしゃる辻さんからのお話会なのです。
辻さんが経営なさっている会社は、食物アレルギーに完全対応した各種メニューを提供し、外
また、系列会社では、シックハウスに対応した建築も行う
当日は、食に関心の高いママや、お子さんがアレルギーで困っていらっしゃるママが中心に参加されました。とても熱心です。
辻さんのお話を熱心に聴く参加者の皆さん
辻安全食品は、「アレルギーで良かった」を会社のコンセプトにしています。
アレルギーで良かったってどういうこと?アレルギーですごく困っているのに、って普通は思いますよね。
実は、自分のアレルギーに気付いて、それを意識した生活をすることで、より健康に生きていくことができるのです。そんな話をいただきました。
アレルギーのあるものを食べていると、身体の中で最も基礎代謝量の多い肝臓の働きが悪くなるとのことです。肝臓っていうと、お酒を飲み過ぎるとガンマgtpが増えるとか、物言わぬ臓器とか、肝硬変とか…ちょっとドキドキしてきますね。
肝臓が炎症を起こすと、それを守ろうとして周りに脂肪が着く。下腹部に脂肪がたっぷりついている方は実は身体に合わないものを食べている可能性がとっても高いとのことです。えーっ、高カロリー、食べ過ぎじゃないんだ!そして、アレルギーに気付いていない場合は、知らず知らずに内蔵に負担がかかって、それが原因で、他の病気を発症していることだって本当にたくさんあるそうです。アレルギー、あなどりがたし。
辻さんご本人を、調べてみたところ、卵にものすごく高いアレルギー反応を示したそうです。
それまでは牛丼には必ず生卵を入れるほどの大の卵好き。「こんなに好きなのに…」
けれど、自分自身に卵のアレルギーがあるとわかってから、卵を遠ざけた食生活を心がけました。するとどうでしょう。どうなったと思いますか?なんと、それまで、83キロあった体重がみるみる20キロも減りました。特にダイエットも運動もしていないのにです。今、辻さんはウエスト69センチ。男性では一番スリムなサイズのジーンズが履ける体型です。アレルギーの食材を摂取しないだけで、脂肪の蓄積が減ったということを、ご自身の体験からお話してくださいました。
「僕たち男の子・・・・」でお馴染みの(古っ)ビッグスター、ご存じですよね。御年60歳にも関わらず、腹筋が割れてとてもスマートな林檎殺人事件のあのお方。
彼は納豆をはじめとする豆類に高いアレルギー反応があったとのことでした。それで食事から豆類を抜いたところ、あっという間にベスト体型になったとのことです。
納豆。身体にいいと言われる典型的食材の納豆。それを避けた方が彼には良かった。つまり、一般的に身体にいいと言われているものが全ての人に当てはまるわけでは決してない、ということなのです。自分にとってアレルギーのないものを食べていれば、無理なダイエットをしなくても、自然にベスト体型になれるなんて、ホントにステキなお話ですよね。
今は753検診という言葉もあるとのことです。
つまり3歳、5歳、7歳の753の時にアレルゲンを検査しておいて、それがアレルギーが発症しないように口に入れるものを気をつけていこうという、いわば第0次医療です。みんながこの検査を受けるようになって自分のアレルゲンを知れば、一生健康で暮らしていけるということです。
自分が何にアレルギーがあるかを知って、それに対処した生活をしていけば、アレルギーだけでなく他の病気に発症する率はうんと低くなるそうです。
だから「アレルギーで良かった」が、辻安全食品のコンセプトなのです。
私たちが無意識に口に入れているもの、その中には農薬まみれのものもたくさんありますよね。今では一般的になってきていますが、ポストハーベストで作業員がガスマスクをつけて作業をしている、そんな食べ物を平気で口にしているという現実。
牛乳だって、欧米では殺菌してあるものは出しません。日本の学校給食はどうでしょう?そもそも日本人が牛乳を摂取することに警鐘を鳴らしている方も多々いらっしゃいます。
成長ホルモンがたっぷり含まれているものを食べているせいで、今、子どもたちの身体はどうなっているか?小学校の低学年で生理になったり、幼稚園の時に歯が全部生え変わってしまったり…。いろんな影響が出ているとのことです。
また、グルテンカゼインの除去食で、落ち着きなく動き回っていた子が落ち着いて席についていられるようになった。目を合わせられなかった子がちゃんと目を見てカメラ目線で写真を撮れるようになった…。今まで、脳が原因と言われていたことが、実は腸が原因だった、そう思える事例が実にたくさん生まれているとのことです。
私達の腸は本当に賢い!ということです。
私達の小腸の表面積は子どもでもテニスコート一面分の広さ。大人だったら1.5面~2面の広さがあります。
食べ物由来でアレルギーの症状が身体の一部に出ている時、そこだけにステロイドを塗って一時的によくなったとしても、それは本当に付け刃。
テニスコートの広さのある小腸がやられているのに、症状の出ている体の表面にだけ薬を塗って、何の意味があるでしょう?辻さんが真摯に問いかけます。
私達の小腸に住んで様々な外敵と戦ってくれているのがビフィズス菌をはじめとする腸内細菌。なんと腸内細菌は38億歳だそうです。原始の海から綿々と続く命の連なり。
私達人類が生きてきた歴史は、せいぜい数百万年単位。桁のちがう腸内細胞の方が、ずっとずっと環境に適合していて賢いということです。
腸内細菌がちゃんと働いて、腸が健康な状態なら、私達の身体はちょっとやそっとのことではへこたれないのです。
でも、残念ながら、今、私たちの現代社会では、腸内細菌を働かせないような生活になっているとのこと。
赤ちゃんの時は、なんでもペロペロ舐めて、腸にいろいろな菌を住まわせることで、健全な腸の状態になっていくのが正常な状態。
それが、なんでも「清潔清潔」といって、ほぼ無菌状態のまま。
これではちゃんと腸内細菌の働く腸の状態にはなりません。防腐剤はじめ、食品添加物もそうです。防腐剤がテンコ盛りの食品は、腐らないのですから、これが腸に届いても、腸内細菌は戦う必要がなくて、ぜんぜん働かなくなります。
腸内細菌を働かせるためには、ちゃんと腐るものを食べなくてはいけないのです。なるほど、納得です。
約1000兆個も私達の身体の中にいる38億歳の腸内細菌というご先祖様を、私達は大事にしなければなりませんね。
では、私たちは、そのために、何をすればいいのでしょうか?
辻さんは仰います。「そのためには何も特別なものを食べる必要はありません」と。
日本には古くから「身土不二 一物全体」という言葉があります。
身土不二は、身体と土(環境)は一体ですよ、ということです。地産地消と言えばわかりやすいかもしれません。
例えば、エスキモーがアザラシを赤道直下で食べていたとしたら、あっという間に高脂血症になってしまうでしょう。アラスカで食べることと赤道直下で食べることは、同じ食べ物を食べるといってもまったく異なる現象になるわけです。
地産地消でなるべく手のかかっていないものをいただく。
そして、一物全体。一つのものを丸ごと食べるのがいい。葉付きの根菜なら葉も食べることが大切です。
でも、ここで忘れていけないのが、そう、自分のアレルギーになるものを食べないこと。
いくら栄養的に優れていても、自分がアレルギーがあるものを食べては元も子もありません。
自分のアレルゲンを知り、それを除いて「身土不二 一物全体」を心がける。
そうすることで私達のえらいご先祖様、38億歳の腸内細菌はフルに活動して、私達の身体を守ってくれる。そんな大切なことを知ることのできた、今回の辻さんの講演でした。
来てくださった皆さんからは、「お友だちにも聴かせたかった~」というお声をたくさんいただきましたので、また第2弾も考えたいと思います。
どうぞお楽しみに♪
辻安全食品さんでは、乳、卵、小麦、落花生、そば、かに、えびはもちろん、アレルギー特定原材料27品目を使わないアレルギー対応食品を多数取り揃えてありますので、一度ぜひホームページをご覧になってくださいね。
最後になりましたが、熱い講演をしてくださった辻さん、そして一緒に主催してくれたお産の学校さんと、協力してくれたオフィスブラッシュアップさんに心から感謝します。
ダイバーシティ・カフェvol.4 開催のご報告
2014年9月19日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第4回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部はフードバンクとやま代表の川口明美さん。
川口さんのこれまでの波瀾万丈な歩みについてはこちらをどうぞ。
今回のダイバーシティ・カフェは、ブログでご紹介した川口さんの歩みをたどりながら進みました。
ブログにも川口さんが高校2年の時に事故に遭うところを掲載していますが、事故に遭う直前、川口さんは、すべてが順調に進んでいると実感していた時でした。
モテ期も訪れ、部活の一歳下の男子と手紙の交換をしていたし、部活では、大会用に新たなラバーを張り替えて頑張っている時でした。(川口さんは卓球部に所属していました。)
勉強も頑張り始め、成績上位で、廊下に番号が貼り出されるところまで来ていました。そんな青春時代を謳歌していた川口さんを襲った突然の事故。
飲酒運転の車による交通事故に遭ったのでした。
脳挫傷と全身打撲でした。ガラスの破片が全身に突き刺さり、何度も手術を繰り返さなければならないほどでした。
治療が終わり、退院しても、車のヘッドライトを見ると足がすくみました。心にも大きな傷を負ったのです。
けれど、周囲は世間体を優先するばかりで、自分のことは二の次にされていると感じました。今のように心のケアは大事にされていなかったこともあるかと思いますが、ともかく、こうした事故後の人間模様に直面し、すっかり人間不信に陥ってしまった川口さん。
事故後、大人が嫌いになった川口さん。子ども相手の仕事がしたいと思うようになったのは自然の成り行きでしょうか。短大で保育士の勉強をすることになります。
卒業後は、希望どおりに保育園で保育士として働きました。子どもと深く関わりたくて保育士になったはずなのに、保育士という仕事は、保護者と濃く関わる仕事だったのです。
それが大きな重荷になってしまい、保育園を辞めて地元の信用金庫に転職。しかし、転職時に妊娠が発覚し、内定は取り消しになります。
こうして結婚という道を選んだ川口さんでしたが、その後も本当にいろいろなことが続きます。
この続きは、ブログにも少し書いてありますので、ぜひお読みください。
ここでは書き記すことができないオフレコの部分が、より川口さんの人生の重要なKeyになっているのではありますが、これは参加してくださった皆さんだけの特典ということで、どうぞ、ご了承ください。
そうしていろいろあって(省略が多くてすみません)、離婚に至った頃の川口さんは、1年間、ほとんど何も口にすることができなくなり、寝る前にお酒を飲むという生活を繰り返し、激痩せしていったのでした。
母子家庭のままだと、家がどんどん貧乏になっていく。それならば、私は、父子家庭になろうと思ったと川口さん。
仕事をいくつも掛け持ちし、ほとんど寝ない日も日常茶飯事でした。
こうした日々を過ごす中、ふと、「私は何のために仕事をしているんだろう?」という虚しさに襲われます。
そんな時に出会ったのが、夜中にゴミ拾いをしているボランティア団体でした。そこで活動していると自分らしさが取り戻せる気がしました。
そして、テレビで東京のフードバンク活動の様子を目にします。
「私はこれを富山でやりたい!」
そこからの川口さんの尋常ではない動き方は、富山の皆さんならご存知の方も多いのではないでしょうか。
こうして、川口さんの想いに賛同する仲間も多く集まり、フードバンクとやまの活動はどんどん広がりを見せています。
他にもマル秘話が盛りだくさんだったのですが、機会があったらフードバンクとやまの活動に参加して、川口さんに直接聴いてみてくださいね。
そして、毎回何が飛び出すのかわからないのがダイバーシティ・カフェの魅力のひとつ。
今回は、「お米ありがとう体操」なるものが飛び出しました!
これがその一幕。
今回、参加者みんなで踊った「お米ありがとう体操」の様子は10月18日(土)に、総曲輪グランドプラザで開催される富山県民ボランティア・NPO大会の会場にて、大スクリーンで公開予定です。お楽しみに!
今、川口さんは、周りの人たちからいつも元気をもらっているといいます。
だから、今度は自分が歩く幸せわけあい人になりたい、と思っています。
目指すは「歩くパワースポット」!!
いえ、川口さんは、もうすでに、フードバンクとやまで物資を運ぶ時、ポカポカの幸せも一緒に届けていらっしゃいます。
現在進行形で、日々パワーアップしている「富山の歩くパワースポット」の川口さんなのでした。
歩くパワースポット、川口明美さん♪
みなさんもぜひ一度フードバンクとやまの活動に参加してみませんか?
きっと素敵な出会いがそこには待っています。