ダイバーシティ・ドリプラ開催のご報告

2013-10-20

2013年10月19日。この日は、ダイバーシティ・ドリームプラン・プレゼンテーションの開催に至り、私たちにとっては、本当に記念すべき日となりました。そして、毎日が大切な日々の連続だということを改めて実感しました。
ダイバーシティとやまでは、子どもや高齢者といった年齢のちがい、性別のちがい、病気や障がいのちがい、国籍などのちがいを持った人たちが、それぞれの個性を発揮し、一人一人が輝ける地域社会を目指しています。

多様な人が活躍できる地域社会の実現こそが、富山を、そして日本を元気にし、企業活動も活性化させます。 このため、様々な個性を持った人が、様々な想いを未来への羅針盤として形にする場、すなわちダイバーシティ・ドリームプラン・プレゼンテーションを開催しました。

 

オープニング

富山を中心に演奏活動している盲目のピアニストYOUTAさんが素敵な曲を奏でてくださいました。 YOUTAさんの演奏はこちらの動画でご覧になれます。

ダイバーシティドリプラオープニング

 

<基調講演> 「ダイバーシティは「夢」じゃない!~ひとり一人を大切にする社会とは~」

一般財団法人ダイバーシティ研究所/代表理事/田村 太郎 さん

田村さんは、現在、復興庁の上席調査官でもあり、数多くのNPO法人等の代表を歴任。
そして、日本初の滞在型小児がん治療施設「チャイルド・ケモ・ハウス」を立ちあげた方です。

田村さんからは、ご自身の豊富な経験から、今回のテーマである「多様性が創る夢の実現」に相応しい素晴らしいご講演をいただきました。

現在、田村さんは、一般財団法人ダイバーシティ研究所の代表理事としてご活躍ですが、その前身として、多文化共生センターでの活動があります。
多文化共生との出会い、さらには田村さんご自身のダイバーシティとの出会いからお話が始まります。

「世界は人の手によって変わるのはないか」

田村さんが人生の転機を迎える1989年には、そういう時代の雰囲気を感じさせるに十分な出来事がありました。そう、冷戦構造の象徴的存在であったベルリンの壁の崩壊です。

大学で勉強することはいつでもできる。しかし、この時代の象徴的事件を体感するのは今しかない。

一人の若者を突き動かすには十分過ぎる歴史的事件に直面したのです。
そして、それは、学校において全員が同じ方向を見て、同じ勉強、同じ試験、同じ解答を導いていることに疑問を持っていたときでした。整然としたシンメトリー。正しいとか正しくないということではなく、ただ違和感を感じていたときでした。

わずかな所持金を手元に、放浪の旅が始まりました。
この旅の始まりが、やがてダイバーシティの活動へと至ることは、まだ誰も予想することはできません。むろん、本人でさえも。
ただ、行動していくことが、世界を変えていくことにつながっていくことだけは確信していたのでした。

ベルリンの壁の崩壊をその目で見、ビリビリ震える空気に触れ、その後、世界各地を放浪していく中で、実にさまざまな人たち、国の成り立ちに出会います。
それぞれの国が違えば、考え方や事情も変わってくる。それに至る歴史的な背景もある。しかし、南アフリカからブラジルに渡ったときに、そうした理屈抜きで、ちがいを持つ人たちが共に楽しく暮らしていけるのだという現実に直面します。このとき、多文化共生の一粒の種が地に落ち、やがて多くの果実を結ぶことになるのです。

その後、神戸でフィリピン人向けのレンタルビデオ店で仕事をしているとき、次の大きな契機が訪れます。1995年、そう、阪神淡路大震災です。
わずか7人で始めた多言語による外国人地震情報センター。これがわずか数日で、ものすごい数のボランティアが集まることになったのです。

そして、さまざまな国の人が日本社会に暮らしていることを知り、以後、彼らの生活の実情を詳らかに知ることになったのです。

それは、多文化共生には程遠い日本社会の現実でした。災害時には、日本人と外国人の間にある3つの壁が、より高くなる。
これを低くしていかなければならない。阪神淡路大震災をきっかけに、多文化共生や災害時の外国人対応について、全国各地で講演を続けました。

そんな中、2011年、東日本大震災が起きたのです。
1995年から2011年までの間、田村さんを結ぶ全国各地に出来たネットワークは、団体や個人の数はもちろん、実にさまざまな分野に及んでいました。まさにダイバーシティ・ネットワーク。

被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクトとして、発災直後から被災地を中心に全国各地を奔走します。
細やかに被災者に会い、1日に複数回、仮設住宅でお話会をするなど、真に必要な被災者ニーズを汲み取ることができました。
そして、多くのボランティア団体が、ネットワーク化してそれに対応しようと懸命に活動を展開しました。

しかし、世界を変えていくのが人であるという現実を再び目の当たりにすることになるのです。
そう、日本社会の人口構造の変化です。阪神淡路大震災のときと比べ、若者が大きく減少し、高齢化が進展していたのです。ふたつの被災地の現場に身を投じた田村さんだからこそ実感できたことでした。

被災地に集結するマンパワーが大きく変化していました。ダイバーシティの推進がますます必要不可欠な社会構造になっていたのです。そして、被災地の人々に会っていく中、こうした言葉を耳にしました。とある被災者が仮設住宅を指差し、こうつぶやくのです。

「なんや収容所みたいやなぁ」と。

自分が望んで得た現実ではない。地震に遭ったというだけで、こんな現実に直面してしまう。著しく困難な生活状況に置かれてしまう。
しかも、復興の礎となるべき仮設住宅の基本的な造りは、阪神淡路大震災のときから、ほとんど変わっていない。

「変えていかなければ…」

こうして田村さんは社会的な活動にまい進していく一方で、小児がんの子供のための病院の建設にも着手されています。

先の被災者がつぶやいた一言は、すでに田村さんの胸の中に去来していたのです。

ご自身の息子さんが小児がんで手術を受け、病院での闘病生活に寄り添う中、がんになっただけで、こんな狭い病室で、何十日も生活していかなければならない。病室は治療のための場であるとともに、生活の場であるはず。これが子供の生活の場なのか…。

「自分が変える」
そう決意をしたのです。医療を受けながら、自宅にいるような家庭生活を。

そして、ここでも人の手によって世界が変わっていくということを実感します。
建設費だけで億オーダーとなる病院の建設。一個人で現実化するには途方もなく困難であることは、考えるまでもないことですが、さまざまな人との出会いにより、話が進んでいきます。

そう、夢を現実化させたのです。

そんな田村さんのメッセージ。
「夢は現実化しないと意味がない。しかし、夢は必ず現実のものとなる」と。

大切なことは行動していくこと。
今日のプレゼンター、そして、参加者のすべての人に、素敵な贈り物が贈られました。

 

 

ダイバーシティ・ドリームプラン・プレゼンテーション

そして、5人のプレゼンターによる夢のプレゼン、ダイバーシティドリプラがスタートしました。

 

野澤拓哉さん

突然動かなくなった下半身と向き合うことになった6歳のとき。必ず治ると言い続け、治らない自分と向き合った小学4年生のとき。 でも、現実に向き合うことで、自分の人生が変わり始めた。そう、車椅子バスケットボールとの出会い。 そんな中で起こる様々な出来事。そして彼の熱い想いとは。 野澤さんの夢はぜひ動画でご覧ください。

ダイバーシティドリプラ野澤拓哉さん

 

伊藤博芳さん

大正15年生まれで、87歳になる伊藤さん。戦時中は海軍兵学校で学び、戦後は自衛隊の基礎を築いてきました。 娘さんのいる富山に来たのは80歳を過ぎてから。娘さんとともに、砺波の地で誰もが自分らしく安心して暮らしやすい村を。 それこそが「白ヤギの村」。このコミュニティを作っていくことが伊藤さんの今の夢です。そして、その未来図は、着々と進んでいます。 自分らしく生きることを、これからも追い求め続ける。時には若い人と酒を酌み交わす。いくつになっても、自分にしかできないことがあるのです。

 

阪本アンドレさん

14歳の時にブラジルから日本に来ました。日本語がわからず、幾多のつらい想いもありました。

でも、周囲の人たちの温かい気持ちや出会いの中で、日本で生きる夢を持ち始めることができた。日本の友だちがいる日系ブラジル人のボクだからこそできることがあるはず。

海を超え、世界に笑顔を描いていきます。

 

平木柳太郎さん

大学時代に出会ったひとつのセミナーがきっかけで、年間150本のセミナーに参加することに。そこからいくつものヒントを得て、働くという幸せ、人を活かすということ、すなわち「利他」に行きつき、リタ・クラブを創業。若き起業家としての人生を歩み始めます。

現在、県議会議員としても各方面で活躍していますが、まだまだ描きたい白紙がたくさんあるのです。平凡の中にこそ宿る非凡とは。

 

山元三百代さん

様々な出来事が直面し、自分の心に蓋をしてきたこともありました。なんとか社会とのつながりとの希望を持ちつつも、無理が重なり限界を迎えたこともありました。

自分が抱えてきたこと、経験、想いを共有すること。
そして還元することで、きちんと言葉を伝え合える社会を目指したい。

かけがえのないあなたのために。私のために。

 

山元三百代さんのプレゼンもぜひ動画でご覧ください!

山元三百代さんプレゼン動画

 

5人の夢のプレゼンテーション。
会場では、来場者のみなさんから、惜しみない拍手がおくられました。

会場の外には、プレゼンターのみなさんの個別ブースも設けられました。

 

<講演Ⅱ>
「ドリプラを通して実現していくダイバーシティな社会」
ドリプラ世界大会事務局長 夢の国東北プロジェクト事務局長 川合 径さん

日本中を飛び回り、大活躍の川合径さん。今、ドリプラは日本国内にとどまらず、世界中に広がっています。
夢があれば仲間が集まり、一人ひとりの未来の可能姓が広がるということを全国で伝えていらっしゃいます。

そんな川合さんの講演動画はこちら

川合径さん講演

 

そして、総合司会の宮田隼さん&ダイバーシティとやまの宮田
W宮田が伝える熱い想い

 

エンディング

エンディングは射水市立小杉中学校合唱部のみなさんによる「花は咲く」の合唱です。
プレゼンターと会場のみなさんが一体になり、とてもあたたかなエンディングになりました。

 

会場のみなさんからは、プレゼンテーションを通じて自分自身に起きた変化、気づき、学び、感謝の気持ち、ともに未来を創りたいという意欲、そして自分にできること、やってみたいことを「メンターカード」に書いて、プレゼンターに届けられました。
これは、書くことから始まるダイバーシティ・アクションです。

ちがってていい、ちがうからいい、多様な人が共に生きているからこそ起こる奇跡。

ダイバーシティとやまでは、引き続き、この5人のプレゼンターが描く夢の続き、いえ、夢が現実となっていく姿をお伝えしていけたらと思っています。
そして、これをお読みになっている、あなたの熱い想いをお待ちしております。

 

ダイバーシティドリプラについての新聞記事

写真をクリックすると記事が読めます。ぜひご覧ください。

 

 



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