ダイバーシティ・カフェvol.11 開催のご報告
7月24日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第11回のダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、富山でAIDSの啓発活動を始めたの現職地方公務員の獣医師であり、ギターの弾き語りの名手でもある堀元栄詞さん。
堀元さんのこれまでの歩みは、こちらのブログもご覧ください。
「ダイバーシティとやま」な日々 堀元栄詞さん
http://blog.canpan.info/diversityt/archive/129
いきなりですが、堀元さんが保健衛生のお仕事の中、子どもたち向けに作った「手洗いの歌」からスタート。
これが覚えやすくて、歌いながら手洗いすると、ちょうどいいカンジ♪ちょっとした工夫で子どもたちが楽しく手洗いできます。
手洗いの歌で盛り上がった後、堀元さんの語りが始まりました。
堀元さんがL-KAT~ Let’s know AIDS in TOYAMA~を立ち上げたのは2011年の10月。
この年は、イギリスのロックバンド、Queenのボーカリストのフレディ・マーキュリーがAIDSで亡くなって、20年が経つことになる年です。
富山でも何かしたい。そう考えた堀元さんは、フォルツァ総曲輪でQueenのフィルムコンサートを開いてAIDSの啓発活動をしました。
2日間で80名の方が参加してくださり、これが実質L-KATのスタートとなりました。
AIDSの啓発運動の象徴はレッドリボンです。ですが、最近はピンクリボンを知っていても、レッドリボンを知らない人が増えているように感じる。
これをなんとかしなきゃ。そんな思いをとても強くする堀元さんなのでした。
現在、日本のHIVの感染者は、1日4人ずつ増えています。累計では25,000人とのことです。
AIDSは、社会的に大きく取りざたされた30年ほど前とは異なり、今は、不治の病ではないといわれています。しかしながら、現在進行形で感染者が増えていることに対して、強い危機感を持っている人がどんどん減っていることがとても問題だということです。
堀元さんは、感染症に携わって15年になりますが、その中で衝撃的な出来事に遭遇することになります。それは、生肉のユッケを食べたことにより、死亡者が出たことです。
堀元さんは、職場から出している週報により、生肉の怖さについて十分に情報発信していたと思っていました。しかし、街の声として紹介されている「生肉がこんなに怖いものだとは知らなかった」とのコメントに、愕然とします。自分は伝えてきたつもりだけど、全然伝わっていなかった。外に出よう、出て伝えよう。それが堀元さんの現在の活動を支えている思いでもあります。
ボールペンやティッシュを配るだけの啓発活動ではダメだ。ちゃんと伝わるように伝えなきゃ。
そんな思いで、堀元さんは啓発活動の日は、来てくれたお客さんが足をとめてくれるように様々な工夫をしているとのことです。
昨年の世界AIDSデーの啓発活動は、高岡イオンで開催し、1日で360人の方が足をとめてくれました。それも堀元さんたちの工夫があってこそのことでした。
そして、堀元さんは大学時代のつらい経験も語ってくださいました。
堀元さんは獣医学部で勉強し、馬術部に所属していました。馬に乗って、馬にハマりました。
朝から晩まで馬づけの毎日。
最初は同じ顔に見えた馬も、毎日接していると、全然ちがった表情をしていることがわかるようになってきたということです。
馬も一頭一頭、それぞれに、性格も全然異なるということです。
堀元さんは厩舎に泊まり込んで、馬の世話をするほどのめりこみ、馬を育てあげる喜びを知りました。
そして、堀元さんが大学2年生の時に、ローレルゴールドという馬がやってきました。
先輩曰く、「こいつは使い物にならんから、出せ」と言いましたが、堀元さんは心を込めてその子を育てました。その結果、とても素晴らしい馬に成長しました。馬術大会でも活躍が期待されるほどに成長しました。
獣医学部5年生の時のことです。
馬はもちろんお金がとてもかかるので、馬術部では馬たちも(!)アルバイトをしていました。
そのお仕事とは、投薬の臨床実験の実験台になることです。堀元さんが丹精込めて育ててきたローレルゴールドも、臨床実験のアルバイトをしました。
そして、その薬は、馬に対して大きく影響の出るクスリのようでした。
大きくて逞しかったローレルゴールドは、カルシウムが体からどんどん抜けていき、見る見るうちに、やせ細った馬になってしまったのです。
こうなってしまうと、あとのみちは屠殺しか残されていないと。大切に育ててきて、これから活躍できるという矢先に。
堀元さんは、その子を自分の手で病理解剖したそうです。みんな泣いていましたが、堀元さんだけは泣けなかったとのこと。
あんなに愛してやまなかった馬を自分の手で殺した!人は、あまりに悲しい時は泣けないのだとこの時知ることになります。
この時の体験も今、堀元さんを急き立てている理由のひとつです。
あの時、ああしておけばよかった。こうしておけばよかった。そんな後悔をするのはもうこりごりだ。
HIVは防げるのに、年間1500人も増え続けている。これをなんとか予防につなげなくては。
堀元さんはこう言います。AIDSでいちばんの問題は無関心だと。いかに多くの人に、この問題について関心を持ってもらい、いかに予防につなげるか。そのために堀元さんは今日も語っています。
こうしたお話の後、参加者からいくつかの質問がありました。
HIVでも子どもは産めるのか?
答えはYES。今はクスリで血中のウイルス量を、限りなくゼロに近づけることができるそうです。
そうなると、自然分娩だって可能だということです。
もちろん、空気感染なんてしないし、同じ鍋をつついたり、回し飲みしたり、キスしたり、そんなことくらいでは感染しないのに、いまだに多くの偏見が持たれています。正しい知識を持つことはもちろんですが、関心を持たないことが原因になっている悲劇もたくさんあると思います。
かつては撲滅が不可能だと思われていた天然痘も撲滅できたように、AIDSもいつの日か、この世から消えてなくなると、堀元さんは信じています。そのために必要なのは、なによりも知識。AIDSにいちばん必要なのは知識のワクチンなのです。
そして、今回のダイバーシティ・カフェの最後は、堀元さんがギターとハーモニカで、ハートフルな「ヨイトマケの唄」を熱唱してくださいました。
一緒に住んでいるお母さんに、面と向かってありがとうと言えないけど、この歌でなんとなく伝わっているかな?と堀元さん。
とっても真摯に目の前の課題に向き合う堀元さん。今回も、参加者のみなさんとともに、素敵な時間を共有できたダイバーシティ・カフェになりました。
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