活動報告
ダイバーシティ・カフェvol.2 開催のご報告
7月18日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第2回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、小矢部から世界を変えているELABOオーナー山科 森(やましな しげる)さん。
山科さんのことを書いたブログ記事はこちらになります。
「ダイバーシティとやま」な日々 今日の人.29 山科 森さん パート.1
「ダイバーシティとやま」な日々 今日の人.29 山科 森さん パート.2
さて、今回のダイバーシティ・カフェは、山科さんのオリジナリティ溢れる盛りだくさんの内容となりました。
まず、山科さんが取り出したのが、「教育勅語」。
正直なところ、教育勅語自体より、「教育勅語」という単語に対して、過敏に反応する人も多いかと思います。
なにしろ、終戦後、戦前教育を徹底的に批判する方も多く、そうした流れの代名詞的な存在ともいえるのが「教育勅語」。
しかし、内容を知らないどころか、読んだことさえないのに毛嫌いするのはいかがなものか。
というわけで、まずは般若心経の写経ならぬ、教育勅語の書写から始まった今回。
みんな真剣に書いています。
教育勅語は、こちらのサイトからダウンロードもできます。
書写で、心を鎮め、今の自分を見つめなおした後、今度はガラッと雰囲気が変わって、カミング・アウトTime!
まずは、ダイバーシティ研究所の田村太郎さんの記事「自分をカミング・アウトしよう」を読みました。
『大阪市人権だよりこころねっと summer No.21』 記事より抜粋
「ダイバーシティの第一歩は?
まずはいろんな生きにくさを抱えている人に気づくこと。気づくとこれまで見えなかったものが見えるようになってきます。「この人はそうなんだ」と理解して、「自分にも生きにくさあるよね」と思えるようになります。
実は誰でも「こういうことで悩んでいる」「自分はこういう人なんだ」と誰かに言いたいんです。それを言うと差別されたり、仲間はずれにされたりするんじゃないかと思って言えない人が多いと思います。ダイバーシティはそういうことがちゃんと言える社会です。そんな社会をつくるには、勇気がいるけど、まず自分からカミングアウトするということが大事だと思います。」
この記事を読んだ後、山科さんのカミングアウトが始まりました。
子どもの頃、親から「長男なんだから」と言われていたそうですが、それを町を治める男だと思い、「いつも近所の子のリーダーでいなければならない」と思っていたこと、それが小学校5年生の時にファミコンという強力なライバルが現れ、今まで一緒に遊んでいた子たちが、みんなゲームばかりするようになって、どうしたらいいんだ、と悩んでいたこと。
また、死が怖くなったものの、「ヒーローなら死なない」のだと思い、ヒーローになりたくなったこと。それが、手塚治虫の『火の鳥』を読んでから、「死は怖いものじゃない、ではどんな生き方がかっこいい生き方か」と、今度は、生き方に焦点を当てるようになっていったこと等など…
そんな山科さんのカミングアウトを聞いた後は、参加したみなさんが2人ずつペアになって、それぞれにカミングアウトを開始。
カミングアウトする機会ってなかなかないけれど、こういう時間は、とても大事なのだと感じたひと時でした。
そして、ここで終わらないのが山科さん。
なんと!次は、演劇が始まりました。
これまた戦前の尋常小学校の教科書に載っている『小さなネジ』という物語を、今回の参加者で演じるというもの。
小さなネジのお話は、簡単にいうと、自分はちっぱけで何の役にも立たない存在だと自己卑下していた小さなネジが、自分がいないと大事な懐中時計が動かないことを知り、実際に懐中時計に差し込まれたことで、この時計が再び動き始め、こんな小さな自分でも本当に役に立っているんだと満足する、というお話です。
現代版で言うと、『しょうぼうじどうしゃじぷた』みたいなお話。
さぁ、これをみんなで役を振り分けて即興で演じます。
みなさん、すっかり役になりきって、ホントに楽しそうでした。
身体を動かすことで見えてくることがある。この演劇は、もしかしたら続きがあるかもしれませんね。
こんな風に参加者をすっかり山科Worldに引き込んだ今回のダイバーシティ・カフェ。
最後に山科さんが言いました。
今はだんだん知っているコミュニティがなくなって、おせっかいができない時代になってきた。
昔の人が大事にしてきたもの、暗黙知が急速に失われている。
自分はこれからも地域に埋もれている小さな想いを発掘していきたい。
そして、ELABOを人が自然に集まる場所にして、暗黙知を大事にしていきたい、と。
これからもそんな素敵な山科さんから目が離せません♪
第3回のダイバーシティ・カフェは8月22日(金) 18時半~太閤山コミュニティセンターで開催します。
次回の語り部は植彩セラピストうえる 石黒 亨さんです。
ダイバーシティ・カフェvo.1開催報告
6月20日(金)、射水市太閤山コミュニティセンターで、第1回のダイバーシティ・カフェを開催しました。
ブログ「『ダイバーシティとやま』な日々」で取材させていただいた多様な生き方や想い。これを活字だけでご紹介するのではなく、実際に、ご本人の生の声でみなさんにお届けしたい!と思い、これから毎月一回程度開催していこうという企画が今回の「ダイバーシティ・カフェ」。ご本人の生の声を聞きつつ、参加者同士が行き交う「ちがいのわかるカフェ」で、ダイバーシティを体内に注ぎ込みます。
カフェオープンとなる記念すべき第1回。その最初の語り部として来てくださったのが、コミュニティ・カフェひとのまの共同代表 元島しょう さんでした。高岡市にあるコミュニティ・カフェひとのまは、赤ちゃんからお年寄りまで誰もが集う、まさにダイバーシティそのものを体現している場所。そこには不登校やひきこもり、就業困難などさまざまな困難を抱える若者が過ごせるひとのま学園をはじめ、他にもたくさんの相談業務等が持ち込まれ、東奔西走、八面六臂の大活躍をしているのが元島さんなのです。
元島さんをご紹介しているブログ記事は、こちらをお読みください。
「ダイバーシティとやま」な日々今日の人100.元島しょうさん
やはり、実際にカフェでお話を聞いてみると、元島さんのたくさんのエピソードが飛び出しました。彼のあたたかくて、誰もが包みこまれるようなそんなオーラそのままに、カフェ全体が、あたたかな空気に包まれました。ひとのまでは「あの人、ヘン!」と言われている人がヘンに見えない。そこはかとなく、おかしく面白い。そんな元島さんは、偽善的なことが大嫌いなのです。
今の世の中、あまりに偽善的なことが多すぎるんじゃないか。元島さんは、日本福祉大学に在学していたのですが、当時、障がい者だからといって、誰一人として特別扱いすることはしなかった。誤解を恐れずに言えば、「愛のあるイジリもアリ」だった。下手に気遣い笑顔で取り繕ったり、見て見ぬふりをするくらいなら、愛情持ってイジる方が、嘘や偽善はないと言う。なぜなら、そこには仲間を大事にしたくてたまらない感覚があるから。
元島さんのお話を聞いていると、元島さんのあったかさは、やはりご両親の存在も大きいのだろうなと思います。ここのあたりの話は、ブログにも掲載してありますので、ぜひ読んでいただきたいのですが、元島さんのご両親は、元島さんが一般的に言うところの不良少年を家に連れてきても、分け隔てなく接する愛にあふれる人でした。元島さんがどんなに荒れていても、息子を心から信じてくれていることが、ひしひしと伝わってくる。
成績はトップクラス、生徒会長も務めていた元島さんが学校に行かなくなったのは、学校の先生たちが、生徒の表面しか見ない部分が見えてしまったから。そういうところに失望した部分が大きかったのです。例えば、こんなエピソードです。調理実習の時間に、塩じゃなくて砂糖を入れた生徒がいました。この生徒を頭ごなしに叱る先生を目の当たりにします。その子は親が離婚して、そういうちょっと変わった行動をすることでしか自分の心を表現できないことは、まわりの生徒はみんな知っている。なのに、先生には表面しか見えておらず、その子の心がわかっていない。
でも、いい先生方との出会いもありました。高校生の時、国語の穴埋めのプリント(作者と作品を結びつけるもの)に「こんなことやって何になるんだ」と疑問を感じ、授業のものは一切やらずに、その当時、好きだった高村光太郎の詩をノートに書いていました。すると机間巡視していた年配のジイチャン先生が、「お前はいい男になる見込みがある」と言ってくれたのです。そんな風にほめてくれたことはずっと心に残っているし、自分の自信になる。大学のゼミの先生も大好きでしたし、その時その時の素敵な出会いが元島さんの心に灯りを灯してくれました。
最後は、元島さんが作詞作曲した歌を聴かせていただきました。とっても優しくて切ない歌声に、会場に来ていたみなさんはすっかりファンに。
元島さんは、喉が乾いて水を飲むようにギターを弾き、歌を歌っています。詩や小説も書いています。社会人になりたての頃、社会の枠に自分を合わせようとしたけれど、それがとても息苦しかった。何かに合わせていくのではなく、どこまで自分自身のままでいられるか、自分のありのままを受け入れ、心の中に降りていく生き方。それが元島さんの生き方のテーマなのかもしれません。そして、自分自身でいられる営みがギターであり、歌であり、小説であり、詩なのです。元島さんの詩や小説、今度、ぜひ読みたいですね。
元島さんは、ときどきライブでも歌っていらっしゃいます。高岡駅の通路でもよく歌っていらっしゃいます。みなさんもぜひ一度、彼の素敵な歌声に触れてみてください。きっといつもより素直な自分に出会えることでしょう。
こんな風に、みなさんとともに、とても素敵な時間を過ごせた第1回のダイバーシティ・カフェになりました。
次回は、7月18日(金)18時半から、射水市太閤山コミュニティセンターの和室にて開催予定です。
語り部は、小矢部で伝説を作り続けている 山科 森 さんをお迎えします!
2014年度定期総会&ワークショップ開催のご報告
6月1日に2014年度の定期総会及びワークショップを開催しました。
定期総会では2013年度の事業報告と2014年度の事業計画についてお諮りしました。
詳しくは資料の方を見ていただきたいと思いますが、2014年度はざっと次のような計画で進めていきたいと思っています。
Ⅰ.”ちがい”に気づく事業
1.NGOダイバーシティとやま定期フォーラム開催事業
2.「ひとめでわかる!ここが富山のダイバーシティ大賞」調査実施事業
3.ちがいがわかるヒューマンスクランブル事業
(1)ちがいがわかるダイバーシティ・カフェ開店事業
(2)ちがいがわかるダイバーシティな人々出版事業
4.世界自閉症啓発デー・ライトアップ事業
5.普及啓発事業
(1)研修・講演受託・執筆事業
(2)ウェブサイト「ダイバーシティとやま」運営事業
(3)普及啓発用パンフレット作成配布事業
Ⅱ.”ちがい”を活かす事業
1.「ダイバーシティ・ビーチ・キャンプ」開催事業
2.All in All is All we are副読本作成事業
Ⅲ.”ちがい”が光る事業
1.「多様性が創る夢の実現~presenter’s present~」報告会開催事業
2.「とやまのてっぺんでダイバーシティを考える夏期大学」開催事業
3.ダイバーシティ人材育成事業
(1)「ダイバーシティ研修会」開催事業
(2)「ダイバーシティ・マネージャー養成講座」開催事業
4.ブログ「ダイバーシティとやまな日々」配信事業
詳しくご覧になりたい方はぜひこちらをご覧ください。
http://diversity-toyama.org/?p=1145
総会に続き、ワークショップ「私の取扱い説明書を作ろう!」を開催しました。
グループ分けからスタート グループに分かれてワークシートを書き込む作業スタート
ワークシートはこんな感じです。名前、出身地、職業などありふれた項目のほか、見なれない質問項目があります。
これこそが、このワークのポイントになる部分です。
ワークシートを書き込む作業は自分と向き合う作業。そして、自分でも気づかなかった自分に出会える作業でもあります。
自分のことをよく知る親しい人と一緒に作業すると、さらに意外な一面を発見できるかもしれません。
初めて出会った人も多い中、各グループでのワークは大変盛り上がっていました。
一人ひとりが自分の取扱い説明書をグループ内で発表し、質疑を繰り返す中で、どんどんわかりやすく、面白い説明書が出来てきます。
グループ内での共有が終わったあと、グループからお一人ずつ、取扱い説明書を発表していただきました。
発表の仕方にもいろいろな個性が光り、多様な取扱い説明書が完成しました。
発表する中で、これは、ありきたりの自己紹介ではなく、しっかりと自分のことを相手に伝える自己紹介に使える有効なツールだということを発見。
「このシートはこれからさまざまな場で活用できそうだ」「自分のことを見つめるいい機会になった」「職場でぜひ使ってみたい」等の意見をいただきました。
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
ライトイットアップブルー&セミナー五箇山菅沼合掌造り集落2014開催のご報告
2014年4月2日、世界遺産五箇山菅沼合掌造り集落で3回目になるライトイットアップブルー&同時開催セミナーを開催しました。
今年は動画でもまとめてありますので、こちらもぜひ、ご覧ください!
↓
今年もボランティアで手伝ってくださるみなさんがいてくださってこその開催となりました。
右のお三方は、駐車場係を引き受けてくださった。富山福祉ネットワークのみなさん。
昼は、赤かぶ掘りと地元の五箇山民謡を楽しみました。
こちらは、合掌の森プロジェクトのみなさんの主催です。
そして、今年も菅沼集落が優しい蒼に包まれました。
そして、恒例の吾郎平さんでのセミナーを開催。
こちらは、今年は3人の語り部をお迎えしました。
社会福祉法人めひの野園 自閉症支援施設 うさか
富山大学人間発達科学部 准教授 水内豊和氏
NPO法人くるみ 代表 岡本久子氏
このお三方が、自閉症・発達障がいのいいところについて魂に響くお話をされ、参加した50名を超えるみなさんが、うんうんと頷きながら聴いていらっしゃいました。
健常者といわれる方が、自閉症・発達障害のことを理解できないことも障害といっていいのではないか?
本当にそう思います。
3人の語り部のみなさんが、自閉症・発達障害の方と関わってこられた中で、今までの一番感動した出来事、発達障がいの魅力、ユニークさ、支援のコツ、地域で普通に暮らすために必要なこと、そしてゆめについてお話くださいました。
それを受けて、参加してくださっていたみなさんも、それぞれの今の想いをとても真剣にお話くださいました。
あたたかな青の光に包まれて、また来年もここでみなさんで再会しようと話し合いました。
自閉症啓発デーは4月2日だけれど、その想いを一年中持ち続けて、それぞれに活動していこうと固く誓う素敵なひとときになりました。
フィリピン災害募金のご報告
ダイバーシティとやまでは昨年末、台風30号によって甚大な被害に見舞われたフィリピンへの災害募金を実施しました。
富山市のオレンジカフェ、しゃみせん楽家、リタクラブ、高岡市のひとのま、小矢部市のELABOの5箇所に募金箱を置かせていただき、26,276円の募金が集まりました。
募金にご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。
この募金は、1月に現地入りされた赤坂剛史さん、友紀さんに託しました。
赤坂さんからフィリピン・レイテ島タクロバン復興支援活動報告が届きましたので、掲載させていただきます。
ダイバーシティ・サバイバルキャンプのご報告
夏休みの最後の休日。8月31日~9月1日の一泊二日、NPO真おやじ塾のみなさんと一緒に生物多様性の地、土遊野でダイバーシティ・サバイバルキャンプを開催しました。
前日は台風で大荒れの天候。キャンプが開催できるのか、本当に危ぶまれましたが、なんと当日はお天気が回復!ありがたいことです。
予定どおりに無事にキャンプをスタートすることができました。
キャンプの参加者は小学生から中学生、そして大人も合わせて20数名となりました。
まず、土遊野の橋本さんから、土遊野でのルールのお話です。難しいことではなく、土遊野にはいろんな動物や虫達もいますので、自然と共に生きていることを自覚しよう!みんな一緒に生きている、っていうことを忘れずに接してあげよう!ということです。急に走ったり、大声を出したりすると、自然相手だと、びっくりしてしまう生き物もいますよってことです。
そして、次には「命の授業」も。
土遊野には、鶏もたくさん飼われています。暗い檻の中に閉じ込められて飼育されたものではなく、橋本さんが毎日、丹念にお世話をしてきた鶏たちです。
私たちは、いつも鶏を食べているけれど、それは、もともとは生きていた鶏の命をいただいていることなんだ。
今まで動いていて温かかった鶏。その生命をいただいているんだよ、ということを土遊野の橋本さんから教えてもらいました。
スーパーで、パックで売られた肉は、無機質で、命を感じることができないかもしれないけど、今日、ここではわかるよね。今、鶏の命をいただいているんだよ。私たちは、毎日、こうして命をいただいて生きているんだよ。生きている鶏を目の前にすると、まさにそれを感じることができるのでした。
みんな神妙な面持ちで話を聴きました。そして、食べるために、羽をむしるのです。いただいた命を精一杯、美味しくいただく。そのために、一本一本、丁寧に羽を取り除いていきます。子どもたちも自分たちの手でやり遂げました。
生きていた鶏がスーパーで売られているような肉片に捌かれていく様子を見るのも初めてです。橋本さんが、丁寧に丁寧に、命を大切にするように切り分けていきます。その気持ちが伝わったのか、子どもたちも鶏肉が切り分けられていく様子を真剣に見守っています。
次に、魚を捕る仕掛けをペットボトルで作ります。身近な材料で、魚を取る。すなわちサバイバル技術を学びます。魚の習性を利用して、簡単な仕掛けで魚を取ろうというものです。おやじさんたちのスキルがいかんなく発揮される瞬間です。子どもたちの中には、こんな仕掛けで魚が取れるのかな?と半信半疑に思っている子もいたかもしれませんが、結果は翌日に判明します。これを川に仕掛けるため、河原に出かけ、おやじさんたちにヒントを得ながら、子どもたちが各々に魚の来そうなポイントに仕掛けを設置していきます。
そして、夕食のための準備。自分たちが使うコップは竹で作ります。みんな真剣そのもの。長い竹を、順番にのこぎりで切っていき、切った後に、飲み口がささくれないようにナイフで丁寧に加工し、その後、おやじさんたちが、バーナーで竹カップを焙り、きれいに仕上げてくださいました。
ペットボトルの仕掛けを川で仕掛けます。どこがいっぱい捕れるかな。
そして夕食の準備。かまどに火をつけ、いよいよ料理するぞ!という瞬間、ここに来て、猛烈な雨が降ってきました。でも、安心です。なぜなら、土遊野には昔の小学校の冬季分校の建物が残っているので、旧校舎の体育館(といっても旧家屋の大きな座敷程度です)で、調理続行です。
今回、ダイバーシティサバイバルキャンプなので、パキスタン出身の子どもも参加していました。ムスリムなので豚肉はNGです。ですので、ハラール対応の鶏肉や豚肉エキスの入っていないルーのカレーも作りました。国籍や宗教の違いによって、食べるものも異なるんだなーということを知るのことも、子どもたちにとってはとても大事なことです。
夕食の後は、子どもたちが自分たちの夢を発表。
その夢に対して大人がメンタリングをするというとても素敵な時間になりました。
学校の中にはいろいろなプログラムがあり、社会見学・体験の授業もありますが、さらに一歩、外に出て、直に大人と接する機会はなかなかないものです。ですので、難しく言うと、子ども自らが持っている夢に対する社会的価値観を客観的に評価することは、なかなか困難です。(大人でも難しい。。。T-T;)
しかし、ちがいを活かしていくことこそ、ダイバーシティの醍醐味!ひとりひとりの異なる夢に対して、これまた様々な人生経験、就業体験を持つ大人たちが、その夢がさらに飛躍していくためのスペシャルアドバイスを行いました。これは、大人→子どもへの一方通行ではなく、子どもの夢に、大人も刺激されるとっても豊かで濃密な時間になりました。
夜の部は、中学生は夜中まで大はしゃぎでした。夏なので怪談でも盛り上がっていたようです。お疲れさまー。
翌朝、魚の仕掛けを見に行きます。います!います!たくさん仕掛けのペットボトルに魚が入っています。仕掛けを引き上げると、小魚が入っていて、子どもたちは大喜びです。
さて、土遊野には、鶏だけでなく、山羊もいるのです。ヤギといえば・・・、そう、ペーター!ではなく、ヤギのお乳です。お乳はもちろん、ヤギの子どものためのものですが、今回、乳搾りも体験させていただきました。昔は、おっぱいの出ないお母さん(人間)は山羊の乳を代わりに飲ませていたそうです。それくらい人間にとってもとてもいい乳が山羊のお乳です。
鶏舎もあって、産みたての卵をとった子どもたちは「あったかい!!」ここでも命を感じることができました。
そして産みたて卵の卵かけごはんは最高に美味しかった(^^)
朝ごはんの後はストーンペインティング。川原の石を使って、思い思いに好きなものをペイントしていきます。
子どもたち、素敵な作品をたくさん作っていました。
参加した小中学生には夏休みの最後にとてもいい思い出ができましたし、私たち大人も、生物多様性の地で多様性について考えるという機会を持てました。
9月2日付 北日本新聞
富山国際大学創立50周年記念富山国際大学国際交流フォーラム姜尚中氏と語ろう国際交流!パネリスト登壇ご報告
2013年11月17日、富山国際大学において、
学校法人富山国際学園創立50周年記念国際交流フォーラム「姜尚中氏と語ろう国際交流!」
が開催されました。
ダイバーシティとやまから、代表の宮田が第3部のパネルディスカッションに、パネリストとして登壇しました。
パネルディスカッションのテーマは「アジア諸国との共存共栄に向けた民間交流」
パネリスト
聖学院大学全学教授 姜尚中 氏
富山国際大学客員教授 鈴木康雄 氏
ダイバーシティとやま代表 宮田妙子
コーディネーター
富山国際大学国際交流センター長 才田春夫 氏
姜尚中さんからは、歴史認識についての視点、そして元読売新聞外報部部長の鈴木さんからは、アジア諸国全般と日本との関係についてお話がありました。
宮田からは、私たちダイバーシティとやまの活動について、多文化共生を中心にお話しました。
それを受けて、姜尚中さんがまとめてくださいましたことを記しておきたいと思います。
「過疎化や少子高齢化があり、第一次産業が今後、TPPをはじめとしてどうなるかわかりませんので、そういうなかでダイバーシティ、多様性を生かすことが、地域社会の持続的な発展につながるというご指摘だったと思います。どうしても、私たちは『海外に出なさい』というときに、国家と国家、国境と国境の問題としてまず考えがちです。しかし、まずそれよりも、自分の足元で、地域でどういうことが起きているのかということを考えないといけません。」
「ダイバーシティは、英語でDiversityです。離婚はDivorceです。語源は同じだと思います。diは『離す』という意味もあるのです。これは何を意味しているのかというと、ダイバーシティ、多様性であるために、実はつなぐものが必要だということです。ダイバーシティは、同時にチェーンでつながっていかなかればいけない。これが絆だと想います。多様性は、必ずそれをつなぐ鎖によって、初めて生かされていく。そのことが、先ほど宮田先生がおっしゃった『無関心ではない』ということです。他人に関心を持つことです。他人に関心を持たなければ、自分も他人から関心を持たれません。そういうことが地域社会の一つの多様性につながり、それがやがて海外の国籍の違う人々との可能性にもつながるのです。
ダイバーシティが少ないということは、裏を返していうと、日本の社会の人間関係や絆が、うまくいっていないということです。3月11日にあれだけ絆という言葉が合唱されたということは、人々が、人間関係が、バサバサになっているということに気付いたからこそだと想います。ですから地域の絆を大切にするということと、ダイバーシティ、多様性とは不可分になります。このことを私は強く言いたいと思います。」
ダイバーシティ・ドリプラ開催のご報告
2013年10月19日。この日は、ダイバーシティ・ドリームプラン・プレゼンテーションの開催に至り、私たちにとっては、本当に記念すべき日となりました。そして、毎日が大切な日々の連続だということを改めて実感しました。
ダイバーシティとやまでは、子どもや高齢者といった年齢のちがい、性別のちがい、病気や障がいのちがい、国籍などのちがいを持った人たちが、それぞれの個性を発揮し、一人一人が輝ける地域社会を目指しています。
多様な人が活躍できる地域社会の実現こそが、富山を、そして日本を元気にし、企業活動も活性化させます。 このため、様々な個性を持った人が、様々な想いを未来への羅針盤として形にする場、すなわちダイバーシティ・ドリームプラン・プレゼンテーションを開催しました。
オープニング
富山を中心に演奏活動している盲目のピアニストYOUTAさんが素敵な曲を奏でてくださいました。 YOUTAさんの演奏はこちらの動画でご覧になれます。
↓
<基調講演> 「ダイバーシティは「夢」じゃない!~ひとり一人を大切にする社会とは~」
一般財団法人ダイバーシティ研究所/代表理事/田村 太郎 さん
田村さんは、現在、復興庁の上席調査官でもあり、数多くのNPO法人等の代表を歴任。
そして、日本初の滞在型小児がん治療施設「チャイルド・ケモ・ハウス」を立ちあげた方です。
田村さんからは、ご自身の豊富な経験から、今回のテーマである「多様性が創る夢の実現」に相応しい素晴らしいご講演をいただきました。
現在、田村さんは、一般財団法人ダイバーシティ研究所の代表理事としてご活躍ですが、その前身として、多文化共生センターでの活動があります。
多文化共生との出会い、さらには田村さんご自身のダイバーシティとの出会いからお話が始まります。
「世界は人の手によって変わるのはないか」
田村さんが人生の転機を迎える1989年には、そういう時代の雰囲気を感じさせるに十分な出来事がありました。そう、冷戦構造の象徴的存在であったベルリンの壁の崩壊です。
大学で勉強することはいつでもできる。しかし、この時代の象徴的事件を体感するのは今しかない。
一人の若者を突き動かすには十分過ぎる歴史的事件に直面したのです。
そして、それは、学校において全員が同じ方向を見て、同じ勉強、同じ試験、同じ解答を導いていることに疑問を持っていたときでした。整然としたシンメトリー。正しいとか正しくないということではなく、ただ違和感を感じていたときでした。
わずかな所持金を手元に、放浪の旅が始まりました。
この旅の始まりが、やがてダイバーシティの活動へと至ることは、まだ誰も予想することはできません。むろん、本人でさえも。
ただ、行動していくことが、世界を変えていくことにつながっていくことだけは確信していたのでした。
ベルリンの壁の崩壊をその目で見、ビリビリ震える空気に触れ、その後、世界各地を放浪していく中で、実にさまざまな人たち、国の成り立ちに出会います。
それぞれの国が違えば、考え方や事情も変わってくる。それに至る歴史的な背景もある。しかし、南アフリカからブラジルに渡ったときに、そうした理屈抜きで、ちがいを持つ人たちが共に楽しく暮らしていけるのだという現実に直面します。このとき、多文化共生の一粒の種が地に落ち、やがて多くの果実を結ぶことになるのです。
その後、神戸でフィリピン人向けのレンタルビデオ店で仕事をしているとき、次の大きな契機が訪れます。1995年、そう、阪神淡路大震災です。
わずか7人で始めた多言語による外国人地震情報センター。これがわずか数日で、ものすごい数のボランティアが集まることになったのです。
そして、さまざまな国の人が日本社会に暮らしていることを知り、以後、彼らの生活の実情を詳らかに知ることになったのです。
それは、多文化共生には程遠い日本社会の現実でした。災害時には、日本人と外国人の間にある3つの壁が、より高くなる。
これを低くしていかなければならない。阪神淡路大震災をきっかけに、多文化共生や災害時の外国人対応について、全国各地で講演を続けました。
そんな中、2011年、東日本大震災が起きたのです。
1995年から2011年までの間、田村さんを結ぶ全国各地に出来たネットワークは、団体や個人の数はもちろん、実にさまざまな分野に及んでいました。まさにダイバーシティ・ネットワーク。
被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクトとして、発災直後から被災地を中心に全国各地を奔走します。
細やかに被災者に会い、1日に複数回、仮設住宅でお話会をするなど、真に必要な被災者ニーズを汲み取ることができました。
そして、多くのボランティア団体が、ネットワーク化してそれに対応しようと懸命に活動を展開しました。
しかし、世界を変えていくのが人であるという現実を再び目の当たりにすることになるのです。
そう、日本社会の人口構造の変化です。阪神淡路大震災のときと比べ、若者が大きく減少し、高齢化が進展していたのです。ふたつの被災地の現場に身を投じた田村さんだからこそ実感できたことでした。
被災地に集結するマンパワーが大きく変化していました。ダイバーシティの推進がますます必要不可欠な社会構造になっていたのです。そして、被災地の人々に会っていく中、こうした言葉を耳にしました。とある被災者が仮設住宅を指差し、こうつぶやくのです。
「なんや収容所みたいやなぁ」と。
自分が望んで得た現実ではない。地震に遭ったというだけで、こんな現実に直面してしまう。著しく困難な生活状況に置かれてしまう。
しかも、復興の礎となるべき仮設住宅の基本的な造りは、阪神淡路大震災のときから、ほとんど変わっていない。
「変えていかなければ…」
こうして田村さんは社会的な活動にまい進していく一方で、小児がんの子供のための病院の建設にも着手されています。
先の被災者がつぶやいた一言は、すでに田村さんの胸の中に去来していたのです。
ご自身の息子さんが小児がんで手術を受け、病院での闘病生活に寄り添う中、がんになっただけで、こんな狭い病室で、何十日も生活していかなければならない。病室は治療のための場であるとともに、生活の場であるはず。これが子供の生活の場なのか…。
「自分が変える」
そう決意をしたのです。医療を受けながら、自宅にいるような家庭生活を。
そして、ここでも人の手によって世界が変わっていくということを実感します。
建設費だけで億オーダーとなる病院の建設。一個人で現実化するには途方もなく困難であることは、考えるまでもないことですが、さまざまな人との出会いにより、話が進んでいきます。
そう、夢を現実化させたのです。
そんな田村さんのメッセージ。
「夢は現実化しないと意味がない。しかし、夢は必ず現実のものとなる」と。
大切なことは行動していくこと。
今日のプレゼンター、そして、参加者のすべての人に、素敵な贈り物が贈られました。
ダイバーシティ・ドリームプラン・プレゼンテーション
そして、5人のプレゼンターによる夢のプレゼン、ダイバーシティドリプラがスタートしました。
野澤拓哉さん
突然動かなくなった下半身と向き合うことになった6歳のとき。必ず治ると言い続け、治らない自分と向き合った小学4年生のとき。 でも、現実に向き合うことで、自分の人生が変わり始めた。そう、車椅子バスケットボールとの出会い。 そんな中で起こる様々な出来事。そして彼の熱い想いとは。 野澤さんの夢はぜひ動画でご覧ください。
↓
伊藤博芳さん
大正15年生まれで、87歳になる伊藤さん。戦時中は海軍兵学校で学び、戦後は自衛隊の基礎を築いてきました。 娘さんのいる富山に来たのは80歳を過ぎてから。娘さんとともに、砺波の地で誰もが自分らしく安心して暮らしやすい村を。 それこそが「白ヤギの村」。このコミュニティを作っていくことが伊藤さんの今の夢です。そして、その未来図は、着々と進んでいます。 自分らしく生きることを、これからも追い求め続ける。時には若い人と酒を酌み交わす。いくつになっても、自分にしかできないことがあるのです。
阪本アンドレさん
14歳の時にブラジルから日本に来ました。日本語がわからず、幾多のつらい想いもありました。
でも、周囲の人たちの温かい気持ちや出会いの中で、日本で生きる夢を持ち始めることができた。日本の友だちがいる日系ブラジル人のボクだからこそできることがあるはず。
海を超え、世界に笑顔を描いていきます。
平木柳太郎さん
大学時代に出会ったひとつのセミナーがきっかけで、年間150本のセミナーに参加することに。そこからいくつものヒントを得て、働くという幸せ、人を活かすということ、すなわち「利他」に行きつき、リタ・クラブを創業。若き起業家としての人生を歩み始めます。
現在、県議会議員としても各方面で活躍していますが、まだまだ描きたい白紙がたくさんあるのです。平凡の中にこそ宿る非凡とは。
山元三百代さん
様々な出来事が直面し、自分の心に蓋をしてきたこともありました。なんとか社会とのつながりとの希望を持ちつつも、無理が重なり限界を迎えたこともありました。
自分が抱えてきたこと、経験、想いを共有すること。
そして還元することで、きちんと言葉を伝え合える社会を目指したい。
かけがえのないあなたのために。私のために。
山元三百代さんのプレゼンもぜひ動画でご覧ください!
↓
5人の夢のプレゼンテーション。
会場では、来場者のみなさんから、惜しみない拍手がおくられました。
会場の外には、プレゼンターのみなさんの個別ブースも設けられました。
<講演Ⅱ>
「ドリプラを通して実現していくダイバーシティな社会」
ドリプラ世界大会事務局長 夢の国東北プロジェクト事務局長 川合 径さん
日本中を飛び回り、大活躍の川合径さん。今、ドリプラは日本国内にとどまらず、世界中に広がっています。
夢があれば仲間が集まり、一人ひとりの未来の可能姓が広がるということを全国で伝えていらっしゃいます。
そんな川合さんの講演動画はこちら
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そして、総合司会の宮田隼さん&ダイバーシティとやまの宮田
W宮田が伝える熱い想い
エンディング
エンディングは射水市立小杉中学校合唱部のみなさんによる「花は咲く」の合唱です。
プレゼンターと会場のみなさんが一体になり、とてもあたたかなエンディングになりました。
会場のみなさんからは、プレゼンテーションを通じて自分自身に起きた変化、気づき、学び、感謝の気持ち、ともに未来を創りたいという意欲、そして自分にできること、やってみたいことを「メンターカード」に書いて、プレゼンターに届けられました。
これは、書くことから始まるダイバーシティ・アクションです。
ちがってていい、ちがうからいい、多様な人が共に生きているからこそ起こる奇跡。
ダイバーシティとやまでは、引き続き、この5人のプレゼンターが描く夢の続き、いえ、夢が現実となっていく姿をお伝えしていけたらと思っています。
そして、これをお読みになっている、あなたの熱い想いをお待ちしております。
ダイバーシティドリプラについての新聞記事
写真をクリックすると記事が読めます。ぜひご覧ください。
「第31回開発教育全国研究集会in富山」のご報告
「第31回開発教育全国研究集会in富山」のご報告です。 8月17日(土)に、富山高等専門学校本郷キャンパスにおいて開催されました「第31回 開発教育全国研究集会in富山」の自主ラウンドテーブルに「人の多様性に配慮するまな ざしから-ちがいに気づくダイバーシティ野外キャンプ体験-」と題して、ワークショ ップを開催してきました。 「第31回開発教育全国研究集会in富山」のウェブサイトはこちら。
http://www.dear.or.jp/zenken2013/index.html さすがは全国大会で、しかも歴史ある開発教育協会主催の研究集会です。参加者の熱意、 意識の高さを肌を通して実感してきました。 80分のワークショップでしたので、前半40分はダイバーシティの理念や考え方のお話を させていただき、後半40分は参加者によるグループワークという構成です。 講義の導入部で、いつもの自己紹介から始める柴垣。しかし、いつもとは、ちがうツッ コミが!「え~、ここポイントじゃないですか!?」と参加者。和気藹々と講義がスタ ートしました。 今回は、一方的なお話ではなく、講義の合間合間に質疑というか、ボケとツッコミのよ うな掛け合い。大変、楽しい講義になりました。 そして、ダイバーシティとやまの活動も知っていただきたいとの想いから、2012年度の 事業報告書も配布させていただきました。事業報告書をまじまじと眺められた参加者か ら、「ダイバーシティとやまさんって、何人で活動されてるんですか?」とのご質問。 「約3名です」と答え。驚愕される参加者。 そんなやりとりをしながら、楽しくダイバーシティについて、考えることができました。 そして、ワークショップでは、8月31日開催予定の「ダイバーシティ野外キャンプ」で 実際にやってみようと企画しているワーク。その名も「Dcard」。"D"は、もちろん divesityの頭文字です。(笑) 多様性を参加者に体感していただき、より快適な生活環境のために、何が必要なのかを 考えていくカードゲームです。今回は、開発教育でのお披露目だけに、カードも出来立て ホヤホヤかつ開発途上でのお試しワークになりました。おかげさまで、参加者のみなさん からは「面白い!」という声とともに、「このように改良してはどうか?」というご意見 もいただき、とても楽しく一体感を得た自主ラウンドテーブルでの発表となりました。 今回、開発教育という場でのダイバーシティの発表から、ダイバーシティの可能性を ますます確信することができました。貴重な場をご提供いただき、関係者の皆様方に厚く お礼申しあげます<(_ _)>
「多文化共生サポーター養成講座2013」開催結果のご報告
ダイバーシティとやまでは、地域に根ざした活動として、外国籍の子どもたちのサ
ポート活動にも協力しています。
射水市立太閤山コミュニティセンターでは、2009年度から「多文化こどもサポート
センター(以下、センター)」が開設され、ブラジルやロシアをはじめ、たくさん
の国の子どもたちで、毎週、賑わっています。このセンターは、富山県、とやま国
際センター、射水市、射水市民国際交流協会などをはじめ、実に多くの方々が設立
に携わり、地域での多文化共生の活動の実践の場となっています。
現在では、太閤山地域振興会のみなさんが主体となってセンターを運営しており、
コミュニティセンターの地域活動、各種行事と、子どもたちが一緒になって楽しん
でいることも多くなってきました。
このため、センターと地域の人たちがふれあう機会も増えてきましたが、居場所と
してのセンター機能である勉強のお手伝いであったり、おしゃべりの相手であった
りという、ボランティア活動、すなわち人として、より多くの地域の人に関わって
ほしいとの願いから、ダイバーシティとやまでは、「多文化共生サポーター養成講
座」を開催しました。多文化共生の地域づくりもダイバーシティとやまが目指す姿
のひとつです。
講座は4部構成となっており、それぞれに、座学とワークショップを交えた講座を
開催しましたので、ご報告いたします。
◇会場:射水市立太閤山コミュニティセンター(射水市太閤山8-4-1)
◇主催:NGOダイバーシティとやま/太閤山地域振興会
後援:射水市
◇プログラム
各回とも、講義(13:30-15:00)/ワークショップ(15:00-16:30)
☆第1回2013年7月13日(土)☆
「教えて!『日本に住む外国人の気持ち』」
【講師:(特活)多文化共生マネージャー全国協議会/事務局長/時 光氏】
異なる国を祖国に持つ外国人が、どんな理由から日本に住みたいと考え、日本での
生活をはじめてから、生活環境がどのように変わり、何を感じたのか。日本人社会
とのかかわりについて、中国出身の時さんからお話をいただきました。
全国各地でご活躍の時さんですが、今回は、他では聞くことができない「ここだけ
の話」として、等身大の時光さん個人のお話いただきたい。こうした依頼を事前に
お願いいたしました。わがままなオファーを快く引き受けてくださり、本当に感謝
しています。講義では、これまでの時さんの人生を振り返っていただき、笑いあり
、ときに怒りあり、胸が詰まり目頭が熱くなる場面もあり、本当に誠意あふれる真
心のこもったお話をいただきました。
HP上では、ご報告するにも限りがあることをご容赦いただきたいのですが、時さ
んは、中国遼寧省のご出身で、日本に来てから、当初の頃は、感動と喜び、驚きの
連続の毎日だったのことです。「日本って、なんて素晴らしいんだ」という日々が
続いたとのことです。その後、年数が経つにつれて、徐々に日本社会で生きていく
ことの難しさに直面されたそうです。受講生には「そうか、自分もそういう状況に
置かれれば、そう行動するだろうな」との頷きもありました。
そして、日本社会において、中国人として生きていくことに目覚めたある出来事が
きっかけで、多文化共生社会の推進に尽力されることになったとのことです。そこ
には、ひとりひとりの日本人との、友人との大切な出会いがあり、そして母国であ
る中国と日本との関わりから見出したご自身のアイデンティティの確立も重要な役
割を果たしたそうです。
人が人として生きていくとき、出身国は確かに大きなバックボーンにはなりますが
、人が人と関わって生きていくときには、出身国よりも大切なものがたくさんある
のだという、生身のメッセージをいただくことができました。
話しにくいことも多々あったかと思いますが、時さんの誠意と多文化共生への情熱
に感動のひとときを持ちました。
☆第2回7月20日(土)☆
「そうなんだ!『富山県の多文化共生の現状』」
【講師:富山県国際・日本海政策課/国際協力係長/山元 真弓氏】
富山県多文化共生推進プランから、富山に住む外国人の現状や、県や関係団体の関
連施策について、山元さんからお話をいただきました。
第1回の講義の、ひとりの外国人の背景や気持ちを踏まえ、では、そうした外国人
が、一体、どのくらい富山県内に住んでいるのか、年齢や性別は、そして生活の目
的(在留資格)は何かといった総論を、山元さんから、統計データやグラフなどを
用いて、わかりやすくお話をいただきました。
ひとことで、統計データと言っても、かなり広範囲に及んでいます。市町村別、国
籍別、年齢別、性別にはじまり、国際結婚の状況、就業の状況、日本語の必要なこ
どもたち、留学生たちの国籍などなど。日本には、富山には、実に様々な外国人が
いることに納得です。
そして、そこから多文化共生の必要性に進展していきます。古くは1955年の姉妹都
市提携から始まる国際交流の流れ、1970年代にはじまるNGOの国際協力活動、そし
て1995年の阪神淡路大震災を契機として多文化共生へとつながっていきます。これ
に呼応する形で国や地方においても様々な取り組みが進められ、富山県においても
2007年に「富山県多文化共生推進プラン」が策定されました。
以後、2008年のリーマンショックを迎え、国において、日系人の就労支援を行うな
ど、外国人が日本社会にとって必要不可欠な存在であるということが認識されてき
たということです。
そして、富山県内においても、外国人は一時的な滞在者ではなく、富山に住み続け
ることを選択した人たちだということが理解され始めてきているということでした
。こうしたことから、県では、地域に根差した多文化共生づくりを推進していると
のことでした。
行政の多文化共生への取り組みを総括してお聞きする貴重な機会となりました。ま
た、山元さんは、韓国での生活の経験も長く、ひとことひとことに重みがあり、大
変、有意義な講座となりました。ワークショップでもそうしたお話もたくさんお聞
きすることができ、韓国での多文化共生、日本での多文化共生の両面から眺めると
いう「制度」、「人」、「文化」など、さまざまなファクターが絡み合う多文化共
生を感じ取ることができました。
☆第3回8月3日(土)☆
【聞いて!「多文化こどもサポートセンターの活動から」】
【講師:(公財)とやま国際センター/国際交流係長/中村 則明氏】
現在、太閤山コミュニティセンターで運営されている「多文化こどもサポートセン
ター」。このセンターは、中村さんの熱い想いが現実化したものですが、中村さん
から「国際交流、国際協力、そして多文化共生~国際交流 現在、過去、未来~」
と題して、お話をいただきました。中村さんは、まさに国際交流から国際協力、そ
して多文化共生の流れを人生として体現されており、中村さんの目に映ってきたも
の、その眼差しが見据えているものは何なのか、その人生を振り返ることで、現在
の日本社会に必要な多文化共生について、想いを伝えていただきました。
なかなかHP上ではお伝えしきれない部分はあるのですが、中村さんは青年海外協
力隊として、アフリカのガーナへの赴任経験があるとのことです。そして、2度の
アフリカでの訪問で、ガーナの人々や子どもたちと出会ったことで、大きな財産を
得たということです。青年海外協力隊として、赴任したわけですが、ガーナの人た
ちは大変大きな贈り物を中村さんに与えてくれたという感動的な話がありました。
また、日本で、国際交流活動や協力活動といった業務に従事する中、そして、プラ
イベートの生活の中でも、外国人にまつわる感動的なエピソードをたくさん、ご紹
介してくださいました。
私たちが生きていくということは、どういうことだろうか?
こうした、ある種の根源的な問いかけに対し、大きなヒントになったのが、外国人
との関わりの中にあったとのことでした。
そして、長く国際協力の現場にいる中で、多文化共生に出会います。いわく「多文
化共生に出会ったことで、とても肩の力が抜けた」ということです。国際協力も多
文化共生も同じフレームの中で捉えることができる。そのキーワードは「地域づく
り」にあるとのことです。それぞれのノウハウを活かし合えるじゃないか、と気付
かれたとのことです。
こうしたことから、富山で、射水で、何かできないかと考えたときに、ひとりの友
人の言葉がきっかけで、「多文化こどもサポートセンター」の設立へと動き出した
とのことです。
ひとりの想いが世界を変えていく。こうした大切なメッセージを中村さんからいた
だいた講義となりました。
☆第4回8月9日(金)☆
【やってみよう!「体験サポートセンター」】
射水市立太閤山小学校で、外国籍の子どもたちの夏休みの宿題のお手伝いを実際に
体験してみようということで、太閤山小学校の協力のもと、学校の一室を借りての
企画!でしたが、肝心の子どもたち、その保護者のみなさんとのご予定が合わなか
ったのか、たくさんの子どもたちが宿題を持って押しかけてくるということにはな
りませんでした。
とはいうものの、毎週、土曜日には太閤山コミュニティセンターで、にぎやかな声
が飛び交っていますので、今回、養成講座の受講の有無に関わらず、ぜひ、一度、
のぞいてみてください。
多文化共生って、高尚なものであったり、崇高な概念ではなく、こんな身近なこと
なんだなって、きっと、納得していただけると思いますよ。
さて、各回のワークショップは、参加者のみなさんの意識がとても高く、グループ
ワークは非常に深い話で盛り上がりました。鋭い意見も多くあり、しかも、その意
見に対立するのではなく、そうした意見も多角的な視点で包み込み、あたかもグル
ープのメンバーひとりひとりが、このグループ内で多文化共生社会を構築していっ
ているような印象を抱きました。
そして、各回ともに、講師の方々にもグループワークに加わっていただき、実りあ
る建設的な話し合いの場を持つことができました。本当に感謝☆です。
今後は、こうしたグループワークの輪の広がりを、地域社会に根差したものとして
いけるよう、仕組みづくりにも取組んでいかなければならないと感じたワークショ
ップでした。
そして、余談になりますが、今回の養成講座の主催者、各回の講師、ファシリテー
ターすべてが期せずして「多文化共生マネージャー(自治体国際化協会認定資格者
)」であったことも、ご報告しておきます(笑)
タブマネの面々です(^^)
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