ダイバーシティ・カフェvo.8 開催のご報告
2月20日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第8回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部は、写真と言葉で思いを綴り、個展も開いている松山千里さん。
千里さんのこれまでの歩みは、こちらのブログ記事もご覧ください。
「ダイバーシティとやま」な日々 松山千里さん
http://blog.canpan.info/diversityt/archive/162
今回のカフェでも、千里さんの子供時代の体験から話が始まりました。
千里さんがまだ小さい時、両親の離婚を経験しました。そして千里さんは、父親と祖父と一緒に暮らすことになり、当時、小学生だった千里さんが、家事を一手に担うことになりました。
小学生なのに朝4時に起きて唐揚を作っている…そんな日が続きました。
「お母さんがいる子のお弁当には負けたくない」という一心でした。
楽しいふりはしていたけれど、心から楽しかったことは一度もありませんでした。
どんなに頑張っても褒められることはなかったし、「自分なんていない方がいいのかな」と、ずっとそう思ってきました。
こうした想いは、大人になってからも変わりませんでした。
社会人になると、職場で周りの人たちに対して腹が立ち始めました。
「私はここまでやっているのに、周りの人たちは何であんなにやらないんだ!」
そう思っていました。
そして、祖父が認知症になり、介護が必要になった時、
「しないといけない」という思いと、
「したくない」という思いの狭間で苦しみました。
このあたりのことは、ブログに詳しく書いてあるのですが、千里さん、父親、祖父、そしてそれぞれの間には、いろいろなことがあったのです。
しかし、ある朝、千里さんが仕事から帰宅したとき、祖父は脱水症状を起こしていました。千里さんは自分を責めました。私のせいだと。
こうしたことが積み重なり、ついには、うつ病になってしまいました。
人が怖かった。
自分は人じゃないと思っていた。
そして自分なんて消えてなくなればいいと、いつも思っていた。
4年前のことです。
死にたくて死にたくて堪らない。
だけど、なんとかして変わりたいという気持ちも残っていました。
無理矢理にでも動こうとしていたうつ病でした。
それから4年経ち、辛かったことは辛かった。それは確かなことだけど、今の自分は好きだと語る千里さん。
いろいろあった両親には「ありがとう」や「大好き」なんて、とても言えない。けれど、どんな思いをしたって嫌いになんてなれっこない。
どんな親であれ、自分にとっては大切な親。
そう話してくれました。
参加した皆さんからもいろいろ質問がありました。
「千里さんにとっての写真って何?」
「写真は自分にとっての表現のツール。言葉ものせないと自分にとってのツールになりにくい。
facebookに写真を載せる時は自分の気持ちとリンクさせている時。そういう時じゃないと載せない。」
「今は『優しい』じゃなくて『易しい』が多いように感じる。肝心なことは言わずにごまかしてる。
そして世の中には『やさしい風(ふう)』なものがいっぱいある。それをもっと欲しいと思っている人もいっぱい。
『ボランティアをしてますアピール』をしている人もいっぱい。そんな表面的な表現者にはなりたくない 」
そしてこんな究極の質問も。
「生きるって何?」
この質問に対して千里さんがしばらく考えて答えたのは「ちゃんと死ぬこと」という答えでした。
過去の偉人と言われる人たちはお金を残した人ではない。死んで何を残すのか、残せるのか。
最終形は自分らしいものを残して、自分が自分らしく死にたい。それが今の千里さんの思いです。
たくさんの方が千里さんの想いに耳を傾け、千里さんの想いに共鳴した空間となったダイバーシティ・カフェになりました。
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