ダイバーシティ・カフェvol.4 開催のご報告
2014年9月19日(金)に、射水市太閤山コミュニティセンターで、第4回ダイバーシティ・カフェを開催しました。
今回の語り部はフードバンクとやま代表の川口明美さん。
川口さんのこれまでの波瀾万丈な歩みについてはこちらをどうぞ。
今回のダイバーシティ・カフェは、ブログでご紹介した川口さんの歩みをたどりながら進みました。
ブログにも川口さんが高校2年の時に事故に遭うところを掲載していますが、事故に遭う直前、川口さんは、すべてが順調に進んでいると実感していた時でした。
モテ期も訪れ、部活の一歳下の男子と手紙の交換をしていたし、部活では、大会用に新たなラバーを張り替えて頑張っている時でした。(川口さんは卓球部に所属していました。)
勉強も頑張り始め、成績上位で、廊下に番号が貼り出されるところまで来ていました。そんな青春時代を謳歌していた川口さんを襲った突然の事故。
飲酒運転の車による交通事故に遭ったのでした。
脳挫傷と全身打撲でした。ガラスの破片が全身に突き刺さり、何度も手術を繰り返さなければならないほどでした。
治療が終わり、退院しても、車のヘッドライトを見ると足がすくみました。心にも大きな傷を負ったのです。
けれど、周囲は世間体を優先するばかりで、自分のことは二の次にされていると感じました。今のように心のケアは大事にされていなかったこともあるかと思いますが、ともかく、こうした事故後の人間模様に直面し、すっかり人間不信に陥ってしまった川口さん。
事故後、大人が嫌いになった川口さん。子ども相手の仕事がしたいと思うようになったのは自然の成り行きでしょうか。短大で保育士の勉強をすることになります。
卒業後は、希望どおりに保育園で保育士として働きました。子どもと深く関わりたくて保育士になったはずなのに、保育士という仕事は、保護者と濃く関わる仕事だったのです。
それが大きな重荷になってしまい、保育園を辞めて地元の信用金庫に転職。しかし、転職時に妊娠が発覚し、内定は取り消しになります。
こうして結婚という道を選んだ川口さんでしたが、その後も本当にいろいろなことが続きます。
この続きは、ブログにも少し書いてありますので、ぜひお読みください。
ここでは書き記すことができないオフレコの部分が、より川口さんの人生の重要なKeyになっているのではありますが、これは参加してくださった皆さんだけの特典ということで、どうぞ、ご了承ください。
そうしていろいろあって(省略が多くてすみません)、離婚に至った頃の川口さんは、1年間、ほとんど何も口にすることができなくなり、寝る前にお酒を飲むという生活を繰り返し、激痩せしていったのでした。
母子家庭のままだと、家がどんどん貧乏になっていく。それならば、私は、父子家庭になろうと思ったと川口さん。
仕事をいくつも掛け持ちし、ほとんど寝ない日も日常茶飯事でした。
こうした日々を過ごす中、ふと、「私は何のために仕事をしているんだろう?」という虚しさに襲われます。
そんな時に出会ったのが、夜中にゴミ拾いをしているボランティア団体でした。そこで活動していると自分らしさが取り戻せる気がしました。
そして、テレビで東京のフードバンク活動の様子を目にします。
「私はこれを富山でやりたい!」
そこからの川口さんの尋常ではない動き方は、富山の皆さんならご存知の方も多いのではないでしょうか。
こうして、川口さんの想いに賛同する仲間も多く集まり、フードバンクとやまの活動はどんどん広がりを見せています。
他にもマル秘話が盛りだくさんだったのですが、機会があったらフードバンクとやまの活動に参加して、川口さんに直接聴いてみてくださいね。
そして、毎回何が飛び出すのかわからないのがダイバーシティ・カフェの魅力のひとつ。
今回は、「お米ありがとう体操」なるものが飛び出しました!
これがその一幕。
今回、参加者みんなで踊った「お米ありがとう体操」の様子は10月18日(土)に、総曲輪グランドプラザで開催される富山県民ボランティア・NPO大会の会場にて、大スクリーンで公開予定です。お楽しみに!
今、川口さんは、周りの人たちからいつも元気をもらっているといいます。
だから、今度は自分が歩く幸せわけあい人になりたい、と思っています。
目指すは「歩くパワースポット」!!
いえ、川口さんは、もうすでに、フードバンクとやまで物資を運ぶ時、ポカポカの幸せも一緒に届けていらっしゃいます。
現在進行形で、日々パワーアップしている「富山の歩くパワースポット」の川口さんなのでした。
歩くパワースポット、川口明美さん♪
みなさんもぜひ一度フードバンクとやまの活動に参加してみませんか?
きっと素敵な出会いがそこには待っています。
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